見出し画像

SNSとブレーキ

SNS時代になって、いろんな人がいろんな形で情報発信するようになった。

もちろん人間のやることだから、いい面も、そうでない面も、形になり、可視化されることになる。

僕が個人的に意識していることがひとつあって。それは

テキストであれ、動画であれ、ネットで情報発信するとは、結果として「自分の一部をデジタル化して見せる」ということだ。

不特定多数の行き来する場所に、自分の一部を置く。

これは本当に難しい。

なぜなら「人々の記憶はそう簡単には上書きできない」からだ。

もっとも大きなインパクトを残した記憶であったり、人々が理解しやすい記憶であったりが、「その人」になってしまうことになる。

あんなに一生懸命、自身を磨き上げては、すばらしい演技を作品中に残した俳優さんも、その最期が自殺であれば、どうしても作品に「陰り」が生じてしまう。

お笑い芸人さんの非業の最期を知ってしまうと、かつてあんなに爆笑したコントを見ても、悲しみが笑いを邪魔してしまう。

有名なアスリートの違法薬物ドーピングが発覚したら、そのアスリートは「そんな人」になってしまう。

子役でインパクトを残した俳優さんは、40過ぎても子役のイメージのままのように、人々に定着した記憶を書き換えるのは、相当に難しい。

いま、SNSなどでいろんな人がいろんな手法で情報をWEB上に置くようになった。

中にはほとんど「目立つ」が目的で過激なことをやっている人もいる。出典や引用を明らかにせず「さも私が考えたように」振る舞う人もいる。セミナーや本を読んだだけで専門家を名乗る人もいれば、都合よくトリミングして肩書をつくる人もいる。

過激なものは「耳目」を集めやすいけど、そこで問われるのは「態度」なのだ。

「私は本当にこの形で世の中とアクセスしたいのか?」

というブレーキを忘れないようにしておきたい。
ナイフはまず自分自身に向けて、最大限の自戒を込めて。

追伸:たくさんの皆様に届いているようで、嬉しいです。
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?