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1‐6 想像と記憶

 先ほどの2つの実験(1-4)でのパフォーマンスの変化について、その理由を考察してみたいと思います。


 実験1のAでは、文章の意味を読み取ったあと「5本の指が最大に開く運動イメージ」が想起され、最終的には一次運動野からAの運動の実現に適した筋群に指令が出ました。

 対してBは、Aで使用した実際の5本の指よりも2倍長い指を動かそうとしていますから、実寸大を超える指を開こうとする運動イメージが基になった運動指令が出されました。

 本来の長さよりも長いものを想像し、それを動かそうとするわけですから、その運動にはより多くの、あるいはより強力な筋肉群が参加することになります。

その結果として、BのほうがAよりも、「なるべく大きく開くように」の目的に適ったパフォーマンスが発揮された、というわけです。

 では、なぜ想像できたのでしょうか?

 それは記憶があるからです。

 実験1のBで5本の指の2倍の長さが想像できたのは、おそらく何かを2倍した記憶がある、あるいは「倍にする」という概念を応用したと思われます。

 

 実験2では、手の上の何かが変わるたびに、想定される重さや質感が変わり、運動イメージ自体が変化し、筋の収縮に違いが出た(異なる運動が生じた)と考えられます。実際には持っていないのに、「それを持って支えている場面」をリアルに想像できたのです。 

ミカンの軟らかさ、リンゴの色や温度、メロンの表面のザラザラした質感、スイカのズシリとした重さ、お米の袋の片手でのもちにくさ、鋼のダンベルの硬い手触り、それぞれの筋や腱のテンション、落としたらどうしようという不安……


 これらは「ミカン」「リンゴ」などの文字情報の入力をきっかけに、保存されていた記憶が検出されたわけです。
 
 お米の袋をもったことがあるからその記憶があるわけですし、もしダンベルを全く知らなければ、想像したくても想像できない(運動イメージを想起しようがない)ということになります。

 また20キロのダンベルを実際にもったことは無くても、ダンベルがどんなものかを知っていて、10キロのお米をもった感じを想像できれば、「だいたい20キロってこんな感じかな」と今ある記憶を組み合わせ応用できるわけです。

 日常的にダンベルを扱っているボディービルダーやパワーリフターの方は、20キロと22・5キロの違いをかなりリアルに再現できるはずです。
 
記憶がなければ想像できません。

記憶は想像の材料であり、意図的な運動の源泉と言ってもいいでしょう。

PS運動を知れば、面白くなる。パフォーマンス医学

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