名刺と遺書
よく研いだ包丁がある。
ある人はこの包丁で、美味しい料理をつくっては食べる人を喜ばせる。
ある人は同じ包丁を振り回し、他人を脅し、傷つけ、自由を奪う。
同じ包丁なのに、使い方が全く異なる。
つまりはこういうことだ。
「包丁に対する態度」にその人が表れる。
言葉も同じだ。
言葉を使って、ワガママを通そうとする人がいる。希望を奪う人もいる。自殺に追い込む人もいる。対立を深める人もいる。
安心感を与える人もいる。優しく大きく肯定する人もいる。魂を救う人もいる。立ち上がり、立ち上がらせる人もいる。
「言葉に対する態度」にその人が表れる。
今、SNSで言いたいことが言える。書きたいことを書ける。百歩譲って、どんなことを書いたとしても「表現の自由」と言えば言えるかもしれない。
でも、もし明日交通事故に遭って亡くなったら、それまでのSNSの投稿が「その人」の代わりに「その人」を雄弁に語ることになる。その人を知らない人にとっては、下手したらそれが全てになってしまう。
どんなに足跡を消したくても、「その人」はもうそれを実行することができないのだ。
SNSは名刺であり、遺書である。
投稿、をクリックする前に覚えておきたい。
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