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糸井さんと羽生さん⑩ ~終わりと始まり~

ほぼ日さんでの糸井重里さんと羽生結弦選手の対談、Day10。

(僕がメディアやインタビューなどを通じて知り得る範囲の)羽生結弦という人に、僕個人として感じている疑問(興味ともいえる)。

それを、あえて失礼を承知で言葉にするならば、

「なぜこの人はこうなのか?」

になる。


オリンピックで金メダル。それがゴールでもいいはずだ。

オリンピックで2つの金メダル。それもゴールでいいはずだ。

プロとしても及第点をやれば、多くの賛同と納得を得られるだろう。


手堅くやれば、手堅く行けた。
そつなくやれば、そつなくできた。

そんな場面は、
今まできっと何度も何度もあったと思う。

とくに競技の世界は、「勝って終わる」がひとつの美徳のようなところがあって、「優勝して引退する」「有終の美を飾る」という元選手はいるし、それはそれで凄いことだ。

現役カラテ選手として最後の試合をKO負けで終わっている僕としては、「勝って終わる困難さ」も身体が記憶しているから、少しは知ってるつもりだ。

でも、羽生結弦という戦士は、前進をやめる気配が全くない。

挑戦に生き続ける様子をみせてくれた競技時代、
その後は「誰もみたことのない世界」を提示し続けている。


競技が終わってからも、
終わらない人ですねぇ。(糸井さん)

糸井さんのこのコメントの通り、

「いったいどこまで行くんだろう?」

すさまじい数のひとが彼の行く末をワクワク、ドキドキしながら見守っている。それが羽生結弦選手の「今」なのだと思う。

再び繰り返してしまうけど、それにしても

「なぜこの人はこうなのか?」

については、全く計りしれないというか、
僕はわかった気にさえなれない。

だが、今回の対談を拝読して、ぼんやりとだけど「なぜ?」のヒントのようなものが、僕の眼にようやく映ってきたような気がする。

世の中に出せたときには、
ここから先の人生のことを思うよりも、
「ああ、もう、これを残したから大丈夫」って、
そんなふうに感じる気がしますね。

羽生選手が見据えているもの、それは「終わり」だった。

いつ終わるか、わからない。世界も、そして自分も。

本当は、誰だってそうで、明日の朝を元気に迎えられる保証はない。

 地震や水害、火災などはもちろん、道を歩いていてダンプカーが突っ込んでくることもあり得るし、隠れてた病気が突然、表面化することもある。テロは限られた地域の問題ではなく、少し前には新幹線で隣の席の人に刺された、というニュースもあった。

「終わり」の方向に意識を向けた途端、「命」がいかに儚いものか、「今」がどれほどの偶然のおかげで成立しているか、考えざるを得ない。

同時に、それらにある程度、蓋をしてというか、片目をつぶってというのか、未来に「希望」や「理想」や「将来」を置いて、折り合いながら生きているのだと思う。

だが羽生選手の発言から、達観でもなく、諦念でもない、もっと冷静に「終わり」を見つめているように感じられた。「終わり」が理(ことわり)であることを前提として、命の軌跡を最善の形で残そうとされているのが伝わってくる。

なんかこの姿勢にはゾワゾワッとするくらいのショックがあった。

糸井 いつかは終わる。
羽生 いつかは終わる。

この認識がベースにあってこその、

覚悟、集中、超越、進化、感謝、前進、芸術、生命・・・。

羽生選手から感じてきた「それぞれのパーツ」が、ここにきてひとつの糸でつながる気がした。

と、ここで想い出したことがある。

あるとき、僕は糸井さんに質問を投げかけた。

「その影響がジャンルや業界を超えていく人と、その内側で留まってしまう人の違いって何だと思われますか?」と。

すると糸井さんは「その質問は初めてもらった」とおっしゃって、

「うーん、共感じゃないですかね?」

とこたえてくれた。

この質問は羽生選手を想定してきいたわけじゃなく、あくまでも「一般論」として伺ったものだったが、糸井さんのこたえは、僕の中で思いっ切り腑に落ちるものだった。

「なぜ羽生選手があんなに愛されるのか?」

それは全人類にとって他人事ではない「生命」を本気で芸術に注ぎ込んでいるからではないか。

氷の上でのパフォーマンスはもちろんのこと、羽生結弦という人の生き様に、あらゆる年代の人たちが「生命の脈動」を感じているように思った。

そしてもうひとつ、すごかったのは、お母様のシンプルで力強い投げかけだ。

「人間性が崩れるぐらいだったらやめなさい」(羽生さん、のお母様)

これはもう教育における金言じゃないだろうか。

「いろんなことはさておき、これさえできてれば文句ないだろ」


僕は気がつけば、そんな落とし穴に落ちてしまってることがあるけれど・・・。羽生選手のお母様は「いちばん大切にすべきはなにか?」をはっきりと、わかりやすく示している。

背筋が伸びるこの言葉を、これから常に持ち運ぼうと思う。

人間としてダメになってもスケートをやる、
っていうのを禁じるのは、
その方が幸せだからですよね(糸井さん)

そして糸井さんのこの言葉。

人間性を高めなきゃいけない。
おそらく子どもの頃からいろんなところで聞いてきた言葉だ。

でも、それはなぜなのか?

勝利のため?利益のため?成功のため?周囲のため?名誉のため?

なんのため???

それを糸井さんは「幸せ」に通じる道である、と言葉にしてくれている。

このリンケージは、僕の中になかったものだ。

「幸せになりたいから、人間性を高める」

なるほど、この公式、圧倒的に素晴らしい。今、SNSの時代になってネガティヴなこともいろいろあるけれど、AIを利用して勝手になりすましが出てきたりしてるけれど、行き着くところは「人間性」なのかもしれない。あるいは「その人らしさ」のようなもの。

きっと糸井さんも、自己改善を繰り返しながら、幸せを感じながらここまでこられたのだろう。

いつかは終わる。(糸井さん、羽生さん)

「終わり」がテーマの対談。

でも、

これを読んだ人たちの中で、新しい何かがきっと始まる。
それだけは確信をもって伝えられる。(Day11へ続く)

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