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分人主義で100日断酒に成功した話 前編

年末年始を含む100日間、完全に酒を断っています。
5時台に起き、運動や読書や自炊をして、8kg痩せ、頭がずっと冴えていて、ついにnoteまで書くようになりました。それまでは、毎日酔っ払っていたので、自分でも不思議です。
断酒の過程で出会った「分人主義」が役に立つと感じたので、断酒や減酒に興味のある人のために、書いてみることにしました。

どんな飲み方をしていたのか

いわゆる「クリエイティブ」な職に憧れをいだき、運良く(?)そのような職に就いてしまった僕は、先輩に中島らもの「今夜、すべてのバーで」を授けられた頃から、バーカウンターの端で企画書を書き、飲み会でブレストをし、パーティや交流会と名のつく場でQRを読み合う、という生き方そのものに酔ってきました。

下北沢の線路上での目覚め。代官山の駐車場で先輩に殴られた傷。六本木で使い果たした貯金。といった武勇伝をつくり、語るごとに、自分はクリエイターになっているな〜と錯覚していました。

でも、ある日、気づいてしまいました。鏡の中に立っているのは、クリエイターというか、顔の腫れた小太りの中年だということに。

どうして酒をやめたのか

時間を増やす、ダイエット、健康、メンタル。酒をやめる理由は、いくらでもあります。海外では「ソバキュリアス」なんて言葉も流行っているようです。

何度か、このようなそれっぽい説明で、人を欺きました。だけど本当は「あ、やめよ」というノリでパタリと酒を断ちました。
それが意外にも2週間ほど続いたので、本やYouTubeで情報を集め、改めてやめる理由や方法を調べたら、もう少し続けたくなった、というのが実際のところです。

なので大事なのは理由じゃなくてノリというか、気負わずヌルっとやめてみるのがいいと思います。

で、それから一ヶ月ほど経ち、このまま自分は本当に酒をやめるのか? という疑問が湧いてきました。
酒に関する事業をやっているのに、説得力が無いんじゃないか。取引先との関係も悪くなってしまうんじゃないか。そうだ、バーで一杯やりながら考えよう。そういえば、そろそろあの店の樽が入れ替えしている頃だ。などと考えだしていた頃、とても納得できる断酒の「考え方」と出会うことになりました。

分人主義との出会い

とある友人から平野啓一郎さんの「私とは何か「個人」から「分人」へ」を薦められました。分人とは、ざっくり言えば、状況に応じて複数の「本当の自分」が存在するよね、という考え方です。
(ちゃんと知りたい人はリンク先を見てください)

この考え方に従うと、僕は酒への愛があるが、それは同時に酒と共にある「酒の分人」の自分も好きだ、と捉えることができます。そして断酒とは、酒と離れると同時に、自分の中の酒の分人とお別れをする、ということになります。
飲み会で「酒やめてまして・・・」などというと、多くの人に少し寂しそうな顔をされます。これは、僕の中の酒の分人への好意や興味を持ってくれていた人が、その対象を失ったことによる寂しさだということになります。

僕自身も寂しいです。なぜなら酒の分人は、気さくで、愛嬌があり、誰とでもすぐ仲良くなり、それでいてトラブルはおこさない、かなり愛すべき人だったから。

酒の分人がいなくなった

酒の分人は、僕の中の多くを占める「仕事の分人」たちと、ここ数年で急速に勢力を伸ばす「家族の分人」たちから、煙たがられつつありました。
「コイツは良いヤツかもしれないけど、邪魔をしてくるし、遊んだあと片付けはしないし、もう一緒にやっていけないっすよ」という、分人間のトラブルです。そして突然、酒の分人は、何者かの手によって、あるいは自発的に、姿を消してしまいました。

こう考えていくと、酒を飲まないことが、不思議なほど苦でなくなり、違和感もなくなりました。もう、あいつ、いないんだなあ、と。

故人の復活を願うより、思い出を大切に生きていこう、と思うのは自然ですよね? おそらく、酒の分人がきちんと確立されている、本格派の酒飲みほど、この感覚はよくわかるのではないでしょうか。

単なる捉え方や考え方だと思われる方もいるかもしれませんが、小手先のテクニックよりもはるかに効果的だと、僕は感じています。

→後編では、断酒のマインドセットとしての分人主義の取り入れ方を紹介していきたいと思います。


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