見出し画像

ショートショート「クリスマスは来ない」

男二人の食卓にはテレビの音と、皿の音だけが響いていた。そこに会話はない。僕がテレビに目をやると、サンタクロースの格好をした女子アナが音楽番組の進行を務めていた。そうか。今日はクリスマスだった。

正確には12月25日をクリスマスと呼ぶようだが、どうやら24日のイヴを「クリスマス」と世間では認識しているようだ。いま流れているようなテレビの特番も大体24日に集中している。友達との会話でも分かる。みんな24日の朝はどこかソワソワしていて、次の日の朝を待ちわびていることが見え見えだ。

でも僕の家にサンタクロースは来ない。来たことがない。

いま小学4年生だが、この年齢で来ないということはもうこれから先も来ることはないのだろう。
向かいに座ってご飯を食べている一久さんがテレビのリモコンを取り「しょーもない」と呟きながら、音楽番組から違うチャンネルに変えた。今日はどこの局もクリスマスをテーマにした番組ばかりを取り扱っているようで、チャンネルを一周した末にNHKのニュースに落ち着いた。

「なあ、サンタクロースって、」
「おらんよ。そんな人」
「うん。そうなんやけど、今日学校でな……」

NHKのニュース番組を見ているのか見ていないのかいまいち掴めない一久さんに向かって、僕は今日学校であったことを話した。

12月24日の今日は終業式だった。これから冬休みに入るという高揚感と、今年のプレゼントは何かという期待が相まって友達はみんな浮き足立っていた。

「サンタクロースなんかおらへんで」
クリスマストークで盛り上がるクラスメイトに割って入り、僕ははっきりとそう言った。自分としては「この世の真実」を伝え、周りから尊敬の眼差しを向けられたいというだけのことだったのだが、それを聞いた何人かのクラスメイトが激昂し出すからこりゃ驚いた。なんでや。一人の女の子に関しては、ショックのあまり泣いてしまった。
しかも、騒ぎの渦中に教室へ入ってきた担任の先生からも注意を受けたのだから、さすがにこうなってくると意味が分からない。サンタクロースはいない。みんな正気か?

拙いトーク力で一久さんにその騒動の全てを話した。僕が話すとき、彼はいつも相槌こそ打たないが、それは無視しているわけではなく、静かに僕の言葉を拾っている。「サンタクロース不在説」は一久さんの教えだ。さすがに今回の件は僕を擁護してくれるだろう。話を聞き終えた一久さんは何と言うのか、僕は反応を待った。しかし、少しの沈黙の後に彼が発したのは「サンタクロースなあ」という、ため息が混じったつぶやきのみだった。

次の日の朝、枕元にプレゼントは、今年もなかった。

クリスマスの大阪は雪だった。
「おぉー、ホワイトクリスマスじゃん」
僕の隣を歩く鈴香はスマホを取り出し、雪が舞い散る茶屋町の風景を写真に収め始めた。今日僕たちは昼過ぎに集合して、コーヒーを飲んだ後に服を買いに行き、今日2軒目となるカフェで休憩し、今は急遽予約したフレンチ料理店に向かっている最中だ。

どこから流れているのか、マライアキャリーの「恋人たちのクリスマス」が聞こえてきた。鈴香はその歌を口ずさみながら、ステップを刻むように歩く。街のクリスマスの雰囲気に飲まれていない。彼女は完全に溶け込んでいた。僕と二人でもリラックスしてくれているようで、ディナーを前にとりあえず僕は一安心した。

僕としても彼女と一緒にいると居心地が良く、今日初めて会った人とは到底思えなかった。

「でも便利な時代になったよねー」
慣れた手つきでナイフとフォークを扱う鈴香は、楽しげにそう言った。
マッチングアプリの自己紹介欄に書いた文面は「31歳会社員。クリスマスの日に、恋人のように隣を歩いてくれる女性を探しています。晩ご飯おごります」というものだった。
そして、電子的な偶然に導かれ、僕たちは今日対面を果たしたのだった。

「何で恋人のフリしてくれるような人探してたの?」
「何でやろ。クリスマスっぽいことしたかったから」
「ふーん。寂しさを紛らわすため、とかはないの」
「それも一応ある。鈴香ちゃんこそ、何でアプリしてたん?」

お互い目を見て話していたが、僕がその質問をすると彼女は渋い笑みを浮かべ、皿に盛り付けられたパテに目を移した。

「それ聞く?まあ、あなたと似たような理由よ」

そこから彼女は渾々と自身について語り始めた。一部上場企業に勤めていることや、仕事が忙しいあまり彼氏はここ数年間いないこと、最近東京からこっちに出てきて友達もおらず生活に慣れていないこと、僕と同い年であること、など。

鈴香のように、軽くくすぐっただけでダムが崩れるかのようにベラベラと喋りだす女性は一緒にいて楽だ。少なくとも、この場に退屈はしていないことが分かるから安心する。
2時間が経ち、3時間が経った。僕たちは喋った。主に僕は聞いていただけだがそれでも満足だった。孤独はスマホがあれば埋められるというのが、令和に生きる僕たちが覚えておくべきライフハックとなるのだろうか。

「一応、クリスマスだから。これ、あげるよ」

そろそろ帰る頃かなという時に、包装された小箱を鈴香は僕に渡してきた。開けていい?と聞く前に、勝手に手が動き僕は包装紙を剥いだ。
箱の中身は僕が知らないブランドの香水だった。まだ噴射していないのにほのかな石鹸の香りが漂ってくる。

「え、泣いてるの?安物だよ?そんなに嬉しいの」

30秒だっただろうか、1分か2分か、正確な時間は分からないが喋れる状態になるまでに少し時間が掛かった。

「クリスマスにこういうのもらうの初めてやから」

やばいなあ、僕はプレゼントみたいなものは何も用意してないや、と焦ると同時に、小学4年生のあの時を思い出していた。

プレゼントのないクリスマスに落胆する暇もなく、僕は一久さんに連れられて、昨日泣かせてしまったクラスメイトの女の子の家に向かった。例の「サンタクロース不在説」の一件が、大人の間でも問題になっているのではないかと思い、僕は車中で少し申し訳ない気持ちでいた。

女の子の家に着き、僕は一久さんに隠れるようにして玄関でドアが開くのを待った。これから怒られるのだろうか。真実を言っただけなのに。
出てきたのはその女の子のお母さんだった。意外にも向こうは別に怒っているというわけではなく、むしろこちらからの突然の謝罪に少し驚いているようだった。

「初めまして。こいつの父親です。うちのバカが昨日変なこと言ったみたいで、すいません」
「いえいえ、全く問題ないですよ。わざわざご丁寧にどうも」

すると女の子が警戒するように、玄関の方へやってきた。昨日の泣き顔がフラッシュバックし、今になって胸が痛む。彼女は僕たちがなぜいまここにいるのか不思議がっているようだ。
一久さんは女の子を見つけると、僕には見せない笑顔でこう言った。

「サンタクロース、来た?」

女の子は頷き、手に持っていた最新のゲーム機をこちらにアピールした。

「そうか。よかったな」

その帰り、僕たちはラーメン屋に寄り、カウンターに並んで腰を丸くしながら背脂多めの豚骨ラーメンを啜った。思えば、去年もその前の年も、クリスマスはラーメン屋に行ったような気がする。

「あんまり好きじゃないねん。クリスマスっていう文化そのものが」

僕の心情を察してか、珍しく一久さんの方から僕に声をかけた。ひとりごとみたいに話すのはいつも通りだが。

「サンタがおらんって、何で言うたらあかんの?」
「思ってること何でも言うたらええわけじゃないねん。我慢せなあかんときがある」

あっという間にラーメンを食べてしまい、コップの水を勢いよく飲み干した一久さんは、意を決したように続けた。

「おじいちゃんとおばあちゃんがお前の面倒見たいって言うてるねん。ちゃんとしたご飯も食べれるし、年明けからそっちで生活したらどうや」

そこからのことはあまり覚えていない。引越しの荷造りをした記憶すらもない。気がつくと新年を迎え、僕は祖父母の家で生活し始めていた。
一久さんはというと、その年の8月にガンでこの世を去った。一緒に生活している頃、僕にはそんな様子は微塵として見せなかったが、僕が小学校に入った頃から身体の調子は良くなかったらしい。

僕の「実の両親」は、僕がまだ赤ん坊の頃に交通事故で二人同時に即死した。そこで孤児となった僕を引き取ってくれたのが一久さんだ。なぜ彼が僕を引き取り、10歳になるまで面倒を見てくれたのか、実のところよく知らないのだけれど、父親と師弟関係のような間柄であったことは聞いている。

両親を知らない僕にとって、一久さんは紛れもなく僕の「父親」だった。

会計の時に鈴香が「半分出す」と頑固だったが、プレゼントを用意しなかったせめてもの罪滅ぼしとして、「今日の有馬記念で10万円当たった」と嘘をつき全額出させてもらった。

茶屋町から大阪駅へ戻る途中、僕たちは前方に人混みを見つけた。群れるのは嫌いだ。ちなみに言うと、休み時間の野球部みたいに群れる奴も嫌い。
その塊の正体は、大型家電量販店の前でマイクを持って歌うストリートミュージシャンに集まる聴衆だった。

どんなもんやねん。みんな無料やから見てるだけや。
彼は僕たちが前を通過する時にちょうど一曲歌い終わり、次の曲を歌い始めるところだった。
次の曲のイントロが流れる。その曲は僕が大好きな曲だった。そのまま通り過ぎて駅へ直行するはずだったが、僕は思わず立ち止まってしまった。

「聴いて帰る?」と鈴香は言ったが、僕は「歌って帰る」と返した。

「え、どういうこと?」
「香水のお礼。いまここで彼からマイク取って僕が歌い出したら面白いやろ?」と言いながらもすでに僕は群れをかき分けていた。

そして本当にマイクを取ってしまった。

♪親孝行って何?って考える でもそれを考えようとすることがもう親孝行なのかもしれない

一久さん、こんな感じのクリスマスはどうですか。
僕は飾らない一久さんが好きだった。サンタが来ないクリスマスでも、彼を恨んだりしたことは一度もなかった。

♪子供の頃たまに家族で外食 いつも頼んでいたのはチキンライス

一久さんが亡くなった後に判明したのだが、彼は僕専用の銀行口座を作ってくれていた。しかも僕が3歳の頃から毎月コツコツ5万円ずつ。亡くなる2週間前の7月24日には何と一気に300万円もの入金があり、摘要欄には「メリークリスマス」とあった。

♪親に気を使っていたあんな気持ち 今の子供に理解できるかな

「季節が日本と真逆のオーストラリアでは7月に独自のクリスマスをするんや!」と一久さんはよく言っていた。右を見ろと言われれば左へ突っ走る一久さんらしい発想だ。

♪今日はクリスマス 街はにぎやかお祭り騒ぎ

マイクを奪い取り急に歌い出す僕を見て、サビに入ってもなお周りは唖然としていた。サプライズゲストの割には歌唱力が乏しい。ただ一人、鈴香だけが微笑んでいるように見えた。
先ほどまでこの場を盛り上げていたミュージシャンの男も、怒るわけでもなく、マイクを取り返すわけでもなく、ただただ立ち尽くしていた。まあ、もう少し待ちたまえ。こんな良い曲を選ぶセンスがあるのだから、きっと君とは分かり合える。

“♪七面鳥はやっぱり照れる 俺はまだまだチキンライスでいいや”

「サンタクロースはいない」
もし僕に子供ができた時に、一久さんと同じことを言える勇気はきっとないだろう。でも、最新のゲーム機よりももっと良いものがこの世にはあるんだということはしっかり伝えないとね。

夕方に降っていた雪は止んだが寒さは止まらない。そうだ、電車に乗る前にラーメン屋に寄って帰ろう。鈴香も誘おう。カウンターでいい。ソファでゆっくり食べるラーメンなんて邪道だ。

僕は歌った。最後まで歌った。拍手がチラチラと起こる。マイクをミュージシャンの彼に返して、一礼して、鈴香の手を引っ張って小走りで逃げるようにその場を去った。
クリスマスソングなんか歌ったらまたあの顔で「しょーもない」って言われそうだが、一久さんの遺伝子はちゃんと僕にもあったようだ。

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。