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ショートショート⑦キンタマレジデンス〜前編

その物件はまさしくとっておきだった。一人暮らし歴15年、今まで経験した引越しは4回という中山銀次だが、今回の新居は彼の経験則には当てはまらない特殊なものだった。

不動産屋を訪れた日から2週間後にはもう中山銀次はそのマンションに入居していた。
・16階建の15階に位置する角部屋。日中は陽が差してとても気持ちがいい。
・2LDK。
・築2年。部屋の中はもちろん、マンションのエントランスやエレベーターも清潔感のある新築の匂いがする。
・東京メトロ丸ノ内線東高円寺駅から徒歩3分。
・敷金礼金なし。不動産仲介手数料も、火災保険料も免除。家賃はたったの3万円。

このマンションの名は「キンタマレジデンスⅡ」という。

「キンタマレジデンスⅡ」での中山銀次の新しい生活はとても快適なものだった。通勤時間が格段に短くなったし、土日の休みの日には眩い太陽の光で目が覚める。住居を変えたことで運気が向いたのか、仕事の営業成績も良くなった。

挑戦的な物件であるため、マンションの住人は変な人なのではないかと彼は恐れていたがそれは杞憂で、誰に会っても気持ちの良い挨拶を返してくれる。

中山銀次と家を出るタイミングが同じ住民がいて、その女性と彼は毎朝エレベーターで一緒になるためすっかり顔馴染みになった。
「おはようございます」
「おはようございます。もう慣れましたか?このマンション」
「ええ。おかげさまで」
綺麗な女性だ。背が高く、女性にしては少し肩幅が広いが中山銀次の好みだった。エレベーターの中ということもあり、心地の良い香水の匂いがいつも漂っていた。
この人も住所を記入の際に「キンタマレジデンスⅡ」と書いているのだと考えると、なんだかエロい。


ある日、事件が起こった。

仕事が終わり、同僚と少しだけ酒を飲んで「キンタマレジデンスⅡ」へと帰ってきた中山銀次は、エレベーターの中で例の女性と鉢合わせた。
「あ、どうも」
「夜に一緒になるのは初めてですね」
中山銀次は彼女は16階に住んでいることはもちろん知っていたので、16と15のボタンを押し、「閉」のボタンを押そうとした際に、スーツを着た中年男性が飛び込んできた。
「あ、こんばんは」
「何階ですか?」
14階でお願いしますという返答があったので、中山銀次は14のボタンを押し、エレベーターは動き出した。

5階を過ぎたあたりだっただろうか。エレベーターがガシャンと音を立て、大きな揺れと共に停止してしまった。
「おそらく停電ですね」
スーツのおじさんの対応は冷静だった。エレベーター内の緊急通話ボタンを押し、オペレーターと対応してくれた。どうやら5分後には再稼働するらしい。

エレベーターに残された時間を使って、中山銀次は前から聞きたかったことを二人にぶつけてみた。

「何に使われているんだと思います?僕たちの、その、何というか、玉」

とっておきの物件、この好条件にして破格の値段にはもちろん理由があった。
それは契約の際に「睾丸を1個を差し出すこと。なお、除去手術は所定のクリニックで無償で行う」という条件が提示されていた。
だからここの男性住民は全員、玉が片方しかない。

「高待遇を条件に玉を取るってことは、何か目的があるってことですよね?僕たちの玉に」

するとさっきまでにこやかな表情を浮かべていたスーツのおじさんが急に渋い表情になり、中山銀次に対してこう言った。

「兄ちゃん。それに関しては深追いしない方がいいぜ」
「そうよ、お兄さん。知らなくていいことだってあるでしょ」

中山銀次は察した。どうやらこの二人は何かを知っている。

「私なんて2つとも献上したから家賃も無料なの。ちょうど取りたかったし、win-winってやつね」
中山銀次は驚きを隠せない。
「あ、てっきりお姉さんの旦那さんとかが片玉なんだと思ってました」
「はは。ここは一人暮らし専用マンションよ。つまりは、どういうことか分かるよね?」

このお姉さん以外にも女性の住居人は何人か見た。みんな元々は男性だったということか。

スーツのおじさんはまだ渋い顔をしている。
「兄ちゃん。どうしても知りたいっていうのならヒントだけ教えてやる。『キンタマレジデンスⅠ』だ」

キンタマレジデンス、ワン?
確かに中山銀次は前から「キンタマレジデンスⅡ」というこのマンションの名前を不思議に思っていた。2があるなら1がどこかにあるはずなのだ。

「『キンタマレジデンスⅠ』に行けば謎が解き明かされるのですか?」
「さあな」

エレベーターが再び動き出した。急な再稼働だったので中はまた激しく揺れた。揺れる玉は一個しかないんだけどなと、中山銀次は得意の金玉ジョークを心の中でつぶやいた。

続編に続く。

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