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どうしようもない夜に

10月中旬よりクイーンズランドのカブルチャーというところでラズベリーピッキングを始めている。起床時間は毎朝4時。5時にファームに着いてそこから15時くらいまでひたすらラズベリーを取る。それをほぼ毎日。拷問のように思われるかもしれないが、これが意外としんどくもなく、毎日楽しくやれている。トイレも常設されているため、この前のような悲劇が起きることもない。

家に帰ればシェアハウスの友達が適当にワーワーやっていて、にぎやかな声に包まれながら、安心感を持って、ドラマを見たり執筆したりと、僕は僕で適当に好きなことをやっている。

半年ぶりの労働になるわけだが、一番の目的はVISAを延ばすためだ。
まだ野生のカンガルーを見ていないし、まだシドニーにも行けていないし、まだ星空を見ながらキャンプもしていない。そんなNot yetな状態で日本に帰ったところで、待っているのは一体どんな人生だろうか。オーストラリア行く前と何も変わらないようなつまらない生活がまた始まり、つまらない相手と結婚し、つまらない顔で仕事をして家に帰るだけなのではないだろうか。それならもう少し足掻こうではないか、という判断だ。

毎日何時間もラズベリーと向き合うだけの単純なことを繰り返していると、いろいろと考えてしまう。これまでのことと、今日のことと、これからのこと。

特に「孤独」や「寂しさ」についてはよく考える。
どこのファームもそうだと思うが、カップルで来ているような人たちは多い。オーストラリアで出会って、付き合って、寝るのも働くのも一緒だという人たちだ。寂しさが一番の理由で、ある程度妥協して付き合っている人もいるのだろうが、それはそれで結構なことだ。人は孤独な夜に弱い。だからそれが期間限定の恋愛に終わったとしても、孤独を埋め合わせた二人の思い出は老人になっても残るのだろう。正直羨ましい。先が不透明な恋愛ほどロマンティックなものはない。

ラズベリー地獄に疲れ果て、布団に入る午後10時半。こんな僕も、たまにだが夜に押しつぶされそうになっている。日本人、男、27歳。来年帰国する頃には28歳。周りが辛い時やしんどい時、苦しんでいる誰かの腕を引っ張ってやれるような、そんな男になれるように努力してきた。でも今は、そういう風になれているかと聞かれたら返答に困る。
頑張っても頑張っても、報われないときがある。すくってもすくっても、指の間からこぼれ落ち続ける時がある。
夜になると、「誰か俺を引っ張ってくれや」と、弱気な自分が姿を現す。規則正しく、ストレスのないこんな生活の全てをぶっ壊してくれるような人が現れてくれへんかなと、胸の奥が締め付けられるようにキュッとなり、悲しくなったかと思えば、疲れているのですぐに眠ってしまっている。そして4時15分のアラームが鳴り、また1日が始まる。

「お前の小説おもろいわ。もっと書けよ」
小説や文章になんて特に興味もないはずの、大学の先輩に言われた一言だ。過去を振り返った時に、たどり着くのはいつもこの言葉。
僕は手先が不器用だし、営業スキルがあるわけでもないし、愛想良く振舞うこともできない。でも、普段活字を読まない先輩を振り向かせた実績はある。これは自分の中で誇りにしている。

苦しい時は迷いなく手を挙げる。そこに変なプライドや意地も根性も、何もない。もう無理です、動けへんわ、と。そしたらきっと誰かが助けてくれる。でも自分に余裕がある時は、挙げられた手を、小指一本でも掴んであげれるような、そんな生き方をせなあかんわな。みんなどうしようもなく寂しいんやから。

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。