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バカな恋愛

たまには恋の話でもしようか。

こう見えて(どう見えてんねん)僕は恋愛の話が好きだ。人の恋バナを聞くのも良いし、自分の過去の恋愛を語るのも良い。映画でも「50回目のファーストキス」とか「ララランド」とか、分かりやすいド直球の恋愛映画が好き。
いかなる権力者も、覇気のないハゲたおっさんも、結婚や出産をあきらめたOLも、恋という悪魔からはそう簡単には逃れられない。オーストラリアで出会った75歳のおばちゃんも、バツイチではあるがFacebookを駆使して今もなお良い男を探していた。人は死ぬまで恋愛をするのだ。

恋は人生に光をもたらすものである。
例えば気になっている人とLINEが続いたりすると、その一日一日の積み重ねが自分を幸せにする。今日も返事が来た!とか、返信のスパンが短くなってる!とか、27歳になった今でも、そういった状況に陥ると気分は完全に恋する乙女である。チャットモンチーやSHISHAMOなんかに負けないくらい甘い恋の歌が書ける。
時にはなかなか返事がなく不安な夜も訪れたりする。そんな折、「ごめん!友達とご飯行ってた」といったメッセージが来たりするとこれ以上ないくらい安眠できるものだ。

僕は極度の恋愛体質であると自負しているので、そういう人が現れると本当に何も考えられなくなる。ずっとメリーゴーランドに乗っているような気分だ。

しかし、恋は時に残酷である。
2年前から3年前くらいに、これから恋愛になりそうかな、そうでもないかなという絶妙な関係の人と何回かデートをしていた時期があった。色白の綺麗な方で、大学が一緒だったということもあり気にはなっていた。しかし、何回か会ってもその人の「芯の部分」がなかなか見えてこない。端的に言えば何を考えているのか全く想像できない。

だから僕は「前に付き合っていた人はどんな男性だったのか」を聞いてみた。少しでも彼女のことを知れたら、と思ったのだ。
「うーん、どんな人かって言われると難しいけど、まあ髪の毛は青だったよね」

ーーー髪の毛は青だった。

もうこのフレーズに完全に打ちのめされた。「青色の髪の毛をしている男」と僕を天秤にかけたときに、どうしたって僕が勝てるわけないからだ。歩んできた世界線がまるっきり違うのだろう。ライブとか行ったらダイブとかしちゃうタイプの男だろう。電車に乗ったら大股で座って2席分くらい陣取るタイプの男だろう。案の定、その女性とはそれ以降はうまくいかなかった。

振り返れば、これまでバカみたいな恋しかしていない。まともに話したこともない子に告白したこともあるし、女の子に彼氏がいることを知りながら言い寄ったこともあるし、大学の時には人妻と天王寺へ飲みに行って「キモい」と罵倒されながら酒を飲み交わし、会計を出してもらったこともある。

それでもなお、恋は美しい。
「ふがいない僕は空を見た」という、映画化もされている大好きな小説があるのだが、その中にこんなセリフが出てくる。

「バカな恋愛したことない人なんて、いるんですかね?」

良い。僕のことを分かってくれてるのか、という気持ちになる。もしかしたらバカなままでもいいのかもしれない。
「インスタグラムやってますか?」の一声も、「何曜日が暇ですか?」の誘いも、「先にシャワー浴びる?」の譲歩も、きっとバカが全てを包んでくれる。

彼女はもうかれこれ2年くらいいない。でも受け入れ体制は万全だ。誰かを愛する準備はもうできている。
あ、でもここはオーストラリアだから車を買わなきゃね。ヒョロいままじゃ見劣りするから筋トレもしないと。あとは髪色を金から銀に変えないといけない。
たったそれだけのこと。大丈夫。まだ大丈夫や。

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。