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ショートショート⑨規則的な訪問者

「8月5日水曜日夜9時30分ごろ
8月9日日曜日夕方17時前
8月14日金曜日夜9時ごろ
8月15日土曜日夕方17時45分ごろ」

いやがらせ目的と思われる、所謂ピンポンダッシュの通報を受け、和田家にて一通りの事情を聞いた吉田巡査は取ったメモを、和田花江にもう一度確認する。

「こういうのは大体子供の仕業であることが多いです。といってもこの辺に住んでいる子供なんて数えられるくらいなんで、心当たりないか聞いておきますね」
「はい。忙しいのにすいませんね」

和田花江は現在40歳くらいで、認知症の母親の和田フサコと二人で暮らしている。花江が仕事に出る時間帯はヘルパーさんに来てもらうなどしてやりくりをしているという。

吉田巡査が和田家を出ると、散歩中のある老夫婦と遭遇した。

「あ、岡田さん、こんにちは。そういえばおウチ和田さんのお隣でしたね」
「お巡りさん。ご苦労様。何か事件かい」
「いやいや事件なんてとんでもない。ただのパトロールです。何か困ったことがあったらいつでも言ってくださいね」

岡田老夫婦、奥さんの岡田ふみ子は高齢ながらしっかりしているが、旦那の道広は和田フサコと同様に認知症を患っている。吉田巡査とふみ子の会話もニコニコ聞いているだけだ。おそらく吉田巡査が警察であることも認識していない。

過疎化、少子高齢化が著しく進んだ地域だ。10年後にはゴーストタウンと化しているかもしれない。


吉田巡査は例のピンポンダッシュの犯人は町の悪ガキコンビ、フグオとチュータの仕業だと勘繰っていたが、どうやら彼らは該当する時間帯は少年野球の練習をしていたというアリバイがあり、和田家のことも知らない様子だった。

「8月5日水曜日夜9時30分ごろ
8月9日日曜日夕方17時前
8月14日金曜日夜9時ごろ
8月15日土曜日夕方17時45分ごろ。
和田家のインターフォンにはカメラがなく、わざわざ玄関まで出て確認しないといけないが、その時にはもう誰もいない」

困った。久しぶりの「事件」に吉田巡査はなす術が無く、また一度メモを眺めていたが手がかりはつかめない。

駐在所のテレビは野球中継が流れている。吉田巡査は熱狂的な阪神タイガースのファンなのだ。嬉しいことに今日も阪神がリードしており、9回を守れば勝ちだ。

点差はあるし、今日の勝利は間違いないだろう。尚早だが吉田巡査はカレンダーの今日の日付、8月18日に○をつけた。阪神が勝った日はこうして印をつけているのだ。

まさか。
その時、彼の中で点と点がつながり、ある閃きが生まれた。急いで吉田巡査は自転車で5分とかからない和田家へと向かった。


夜9時42分。和田家の近くに着いたが誰もいない。
スマホを見るとたった今、阪神は9回を守り切り勝利を収めたようだ。
彼が導き出した法則通りだとそろそろ「犯人」はやって来る。

和田家の隣の家のドアが開く音がする。あの家はこの前会った、岡田老夫婦の家だ。中から出てきたのは道広ただ一人。認知症患者特有の徘徊だろうか。和田家と岡田家から離れたところで見ていた吉田巡査は心配になり、道広に声をかけようと、彼に近づいていった。

すると、道広は信じられないほど軽快な動きで和田家のインターフォンをポチッと一回押し、そそくさと自分の家に帰っていった。それは一瞬の出来事であった。

夜9時42分。夕食の皿を洗い終えた和田花江は、母フサコの入浴を手伝うため、フサコの衣服を脱がせていた。

花江も結婚していた時期があったが離婚し、自分は一人娘であったため実家に戻ってきてこうして母親の介護をしながら、田舎でのんびりとした生活をしている。

ピンポーン。

まただ。やはり平日は夜にその「犯人」は来る。土日はなぜか夕方。今日こそはそいつを突き止めてやろうと、急いで玄関に向かおうとしたその時、フサコが口を開く。

「この音は、阪神勝ったってことやなあ」

60年前

ピンポーンと、和田家のインターフォンが鳴る。分かりきった訪問者であったが和田フサコは胸を踊らせ玄関を出る。
そこに立っていたのは案の定、隣に住む岡田道広だった。

「勝ったな。阪神」
「うん。ラジオ聴いてたよ。道広くん、いつも勝ったらすぐ来るな」
「共有したいやん。この喜びを。シェアってやつ?」
「何それ」

フサコと道広は笑う。阪神が勝った日はこうして、試合で活躍した選手の話から始まり、お互いの仕事のことや家族の話までダラダラと話し合う。

この時間がずっと続けばいいのにな。阪神が毎日勝てばいいのになと思っていたのはお互い様であった。

「フサコ、俺、結婚すんねん。この前お見合いがあって」
「え、そうなんや。それは、おめでとう」
「だから奥さんの手前、これからこうして会うっていうのは」
「分かってるよ。残念やけど仕方ないね」
「ごめん。俺、ほんまはフサコのことが」
「もうええよ。奥さんとお幸せに」

家に戻ったフサコは家族に隠れて泣いた。一晩中泣き明かした夜だった。
お腹をさする。まだ分かりづらいが中には子供がいる。これからどんどん大きくなっていくことだろう。道広との子だ。

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。