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「やりながら覚える」で生きてく。これからも。

先の見えない仕事、
結果がすぐにはでない仕事に取り組む時、
とにかくもっといいタイミング
があるはず、もっと調べて、もっと詳しく
なってから…
そんな事を思う時がしばしばあります。

そんな時、
「まずやってみないと分からんからね。」
という上司やベテランさんの発言を
無責任でなんでもかんでも
「臨機応変」で誤魔化している!
と毒付くことが増えていたところ、
何度も読み返している本にこんな言葉を
見つけました。


学ばなきゃいけないものはやってみないと見えてこない。学んでから体験しようなんて順番が違う。

『走る哲学』為末大P63 「ベターでよい」より


あれ?自分、頭でっかちになってない?
そう思ったら色々思い浮かびました。


やりながら覚えた沢登り。

子どもが生まれる直前まで
熱中し、カミさんの許し次第で
すぐにでも再開したい沢登り。

きっかけは高校山岳部での活動でしたが、
本格的にのめり込んだのは、大学4年生に
なってからでした。

沢登り初心者のOBと一緒に、
沢を登って降りては、
装備を考え、身体作りを考え、
次の予定とお金のやりくりを考え…

卒業後、一人で登るようになってからは、
持っていくロープを短くしてみる。
カラビナを減らしてみる。
そもそもテントは置いていく。
自己流ではなく、服部文祥さんのマネを
してみる。などなど。

取り入れられそうな工夫を
少しずつ試して、身につけていきました。

そして、「沢登りが出来る。」と
少し自信を持っていたから、
結婚なんて夢のまた夢と思っていた、
カミさんからの「沢登り行ってみたい」
に応える事ができました。

踏み出せない理由のあれこれ

私なりの成功体験はあるはずなのに、
何故踏み出せないのでしょうか?
まずやってみよう!と思えないのでしょうか?

そこに面白さや興味・関心、目的があるかどうかで変わってくるからだと思います。

今まで関心がなかったことで、
これからも無いところは無いまま
なのか、それは分かりません。

それでも時間は有限で、
なんでも屋を目指すには短すぎる、と
子どもが大きくなるにつれ、
ひしひしと感じています。

また、知りたいとも思わないというのは
本心ではなくて、
知ったと思ってもさらに先があって、
際限なく続いていく「知識の階段」
を登り続けることに怖気付いている
のかもしれません。

それとも、「そんなこと知ってどうなる」
と否定的に言う人、または自分の中の声や、

「どうせ上には上がいる」という至極当たり前なことを居丈高に主張する、「上ではない」人の言葉に耳を傾けてしまうから?


やりながら覚えている子育て

「ぐだぐだ考えて、ウジウジしてる
 暇があったら子どもの横に張り付いて、
 絵本でも読む!歌を歌って笑わせる。
 分かった?あと、オムツと着替え!
 よろしく!」

休日の朝はアンニュイに思索に耽る…
なんて事はなく、カミさんの的確な
指示と縦横無尽に遊び狂う子どもを
追い回す日になっています。

そういえば、乳児の時は
育児本を読んだ気もしますが、
今は知識をつける前に、
走り回る子どもを捕まえる、
安全を確保するのが最優先。

さて、どうしたもんやら…
となってから、本なりネットなり、
親戚に教えを乞うたり。


「やりながら覚える」って、
そんなに悪いもんでもなさそうです。


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