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映画「ビリギャル」から見えてくるもの

ほんとに今更だけど映画「ビリギャル」をはじめて見たのでそこから考察できることをいくつか書きたいと思います。21歳まで日本にいた自分が、カナダで現地高校教師をしている身として今までの経験からどんなことを感じたかをここに書きたいと思います。

信じてくれる大人

教育業界では当たり前の事実だが、生徒の学力を知りたかったら単純にその家庭の社会経済的地位(SES)を見ると分かりやすい。与えることのできる環境が違いすぎて、その生徒一人一人の力以上に影響力がある。

そんな中で唯一そのような外的要因を乗り越えることのできる一つの要因がある。それが信じてくれる大人の存在だ。それはたった一人でもいい。絶対にあなたには可能性があるということを言動で示してくれる大人が一人でもいればどうも人間は頑張れるみたいだ。

この存在は映画の中では坪田先生であったし、あーちゃんだったかもしれない。僕自身もそんな大人がいてくれたからこそ今の自分があると強く確信している。

経験者という強み

どの道のりに行くにしても、もうすでにその道を経験している人からアドバイスをもらうことが知見を広げる一番の近道になる。そういう人につながろうとする努力や周りのサポートでその道を知る人に巡り合えれば、彼らの経験値から得られることは多い。

大学を受けようという何気ないあーちゃんからの言葉かけ。そして受験をサポートする坪田先生との出会い。主人公の努力はさることながら誰が周りにいて、どんなサポートを得られるかということはその先の方向性まで決めてしまうほどのカギになる。

受験という壁

一発勝負の一年に一回しかない受験というシステム。やり直しや間違いが許されないシステムは、そのシステムに合わせられる人間しか受け付けない。誰でもがんばればなんとかなると言うことはたやすい。でもこの「誰でも」に本当にすべての健常者や障がい者が含まれているとは思わない。

それぞれの能力、得意不得意、成長期にある生徒のメンタルヘルスを考えれば考えるほど、このシステムはあまりにも排他的であると言わざるを得ない。

勉強の仕方

受験というシステムは矛盾と問題に満ちているが、このプロセスを経て主人公は結果以上にどう勉強すればいいかということを得たように思う。苦手な日本史はまずわかりやすい情報、映画の中では漫画から取り掛かり、ニュースを見ては本でも内容のさらなる理解と多面的にみる練習を行っていたように見えた。

外堀から内堀へと固めていく勉強法。わかるところから徐々に初めて、わからないところはさまざまなソース(情報源)を使って理解を深めていく。それは本かもしれないし、人かもしれない、インターネットかもしれない。どう勉強すればいいかという概観をつかむことができれば応用は比較的簡単でなんにでも生かせる。

本来の勉強の目的は、一人一人の人間の自立と共生にあると思う。どう学びどう生かすかを知ることができれば人生を切り開く力を得たことと等しいと思う。

まとめ

この映画をみて受験っていいなと本気で思っている人がいるならその趣旨をはき違えているように思う。映画「ビリギャル」にはいくつかのテーマがあって、それはただ受験に受かりましたということではなく、どうすれば人生を思う方向に進めていけるかということ。この大きなテーマの下でこの映画を見ると今の日本の置かれている状況や何を大切にするべきかということが見えてくるように思う。




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