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ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』-読書の意味とは-

0. はじめに
今回は、とあるオンラインコミュニティのメンバーであるゆーろっぷさんが紹介してくださった、ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』に関連する文章を書いてみようと思う。ゆーろっぷさんのリンクを以下に掲載する。

正直に言おう。私は本書を最後まで読んだが、これを書いている段階ではその内容はほとんど覚えていない。本の内容はゆーろっぷさんがまとめてくれていると信じて(この記事を公開するまでゆーろっぷさんの記事を読みません)、私は本書の目次だけを頼りに以下の文章をしたためよう。この文章は、本書の内容に言及しているのではなく、あくまでも「読んでいない本について堂々と語る」という行為を実践するものである。

1. 「読んでいない」とはどういうことか
本書の目次にもあるように、筆者は「読んでいない」を4つに分類した。
・ぜんぜん読んだことのない本
・ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
・人から聞いたことがある本
・読んだことはあるが忘れてしまった本
私にとって本書は4番目の「読んだことはあるが忘れてしまった本」である。私は数年前から本を読むようになった。文芸作品や自己啓発本、ハウツー本はほとんど読まずに、もう少し専門的なものを好んでいた。買った本の半分以上はまだ手をつけてすらいないが、いつでも読める状態にあるということが私には非常に助かっている。では、読んだ本の内容をどの程度覚えているのかと問われると、ほとんど覚えていない。読んだ本はすべて「読んだことはあるが忘れてしまった本」に含まれるかもしれない。なんとなく「あの本にこんなことが書いてあった、あの人がこんなことを言っていた」というレベルでは覚えているが、細かい議論を再現することはできない。もっとも、他人に対して本を紹介するときに細かい議論を再現する必要はない。学術的な議論を目的としないのであれば、たいていの人はわざわざ発言の背景や妥当性を検証しないから、出典として本や筆者の名前を出せば十分に誠実である。雰囲気が伝わればいいのだから、引用するときも正確でなくていい。フランス国王ルイ16世の王妃であるマリー・アントワネットが実は「パンがなければケーキ/お菓子を食べればいいじゃない」とは言っていないように、ないものがあったことになるくらいだから、日常生活において引用が正確でないことに腹をたててもしかたがない。それは避けられないし、指摘しても相手が変わることはない。

2. どのように「読んでいない本について堂々と語る」のか
本書の第3章「心がまえ」では、実際に「読んでいない本について堂々と語る」にはどうすればよいかがテーマになっている。目次は以下の通りだ。
・気後れしない
・自分の考えを押し付ける
・本をでっちあげる
・自分自身について語る
これらは「堂々と語る」ためには当たり前の要素に思える。「でっちあげるとは何事だ」と思う人もいるだろうが、私は次のように思う。「読んでいない本について」語ることは、「読んでいない本の内容について」語るという意味では、必ずしもない。その本について何が書かれているのか、筆者が何を主張しているのかということは、読んでいない本について語るうえでさほど重要ではない。本当に本をまったく読んでいなかったとしても、あなたが何を思い、何を伝えたいのか。それが重要なのである。「それってあなたの感想ですよね」「なんかそういうデータあるんすか?」と言われることは甘受しよう。あなたの感想を、あなたの感想として堂々と語ればよい。そこにデータやエビデンスは不要である。アンチエビデンスを謳う哲学者も存在する。

3. おまけ
本の扉や章の始まりに誰かの名言が書かれるというのは、読者を本にひきつけるために多くの本で採用されているだろう。本書でも、以下に引用するように名言が書かれている。本文はすべて出典やそれに対する筆者の評価(1項で説明した4つの分類のどれにあてはまるか)がついているが、冒頭の名言には出典がない。本当にあった言葉なのだろうか。一応、本文にもこの言葉は登場するが、出典は別の人物のものであり、発言者本人のものではない。実は、堂々と語る方法の1つをもじって「名言をでっちあげ」たのかもしれない。真相は闇の中だ。

私は批評しないといけない本は読まないことにしている。読んだら影響を受けてしまうからだ。
オスカー・ワイルド

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