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神田川の桜を見て、昔々予備校に通った   高田馬場を思い出す。

都内には有名な桜の名所がたくさんあるけれど、高田馬場駅周辺から目白の面影橋あたり、神田川沿いに連なる桜並木も本当に見事で超エモい。
川沿いに桜並木が多いのは江戸時代、暴れん坊将軍徳川吉宗の施策だとテレビで話していたけれど、川を流れるピンク色の水面は本当に素晴らしい。

そういえば、もうかれこれ30年以上高田馬場周辺を歩いていない。まだBIGBOXはあるのだろうか、予備校に向かう神田川沿いの商店街、確か「さかえ通り商店街」に「大戸屋」があったが今みたいに綺麗でも女性が一人で気軽に入れる感じでもなくまさにザ・大衆食堂で青だか灰色だか分からないくたびれた暖簾が掛かっていて、味とボリュームに比較して大変コスパの良い予備校生にはありがたい食堂だった。

私は大学受験を確信犯的に一浪することにして、親に頭を下げて予備校のお金を出して貰った。あの頃、今となっては恥ずかしいけれど、親や世間ってヤツに何故か反抗し就職する気もないくせに受験勉強もカッコ悪くて地元のクレープ屋でバイトしながらバイト先の大学生が教えてくれる浜省や尾崎を聴いてフラフラしていた。
進学校ではあったが女子高だったせいか担任ものんびりしたものだった。

そういえば、当時は予備校に通うにも高校の推薦があったような気がする。
何年か前のニュースで1990年に約30%程度だった大学進学率が2020年には70%を超えていると聞いて仰天した記憶がある。経済的なことや就職など状況は違うけれど、そうしたら予備校の立場もこの30年で随分と変わったのだろうなあと今更ながら推察する。私には子供がいないのでこういった事に疎くて恥ずかしい。。

そんな適当な気持ちで通い始めたにも拘らず、存外予備校時代は楽しくて、尊敬できる友達もできた。近所の新宿区立図書館で待ち合わせして授業の復習をしたり夕方暮れるまで将来の事なんか話し合ったり、、そうそう予備校生なのに休日に仲間で車に乗り込んで海に行ったりもした。誰は誰が好きだとか、一緒の大学を目指して頑張るとか、今考えても青春だったと思う。

そういえば思い出した。あの時代、図書館の臭いにいわゆる「腋臭」がして慣れてない私は辟易したものだったが、傑作だったのはそれを相談した男友達がとても重大な秘密を打ち明けるように「○○ちゃん、男の腋臭っていうのは、「腐ったシュウマイ」タイプと「鉛筆の芯」タイプの2つがあるから気を付けてと教えてくれた事である。気を付ける意味が分からなかったが暫くは図書館で誰かとすれ違うたびに息を止めて歩いていたっけ。

みんな今はどうしているだろう。著名な法律家になっているひともいるし、アメリカでグリーンカードを取得した彼もいる。教師になった彼女や、親のツテでテレビ局に勤めた彼、独立して飲食店を始めたひと、私のように会社員となって組織に組み込まれた人間。皆に等しく激動の30年だったと思う。

あの頃、浜田省吾の「19のままさ」が流れてくるとまるで自分達の事を歌っているような気持ちになったものだ。ついでに言うと米米CLUBの「浪漫飛行」も同じ頃に流行っていて、曲の中身は全然違うのにどちらにもキュンキュンしていたのだから、私は本当に能天気で幸せな予備校生だったのだ。



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