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忘れては、ならない安全と事故の教訓

今日、5月14日は信楽高原鐵道事故から33年が経つ日でもあった。

安全誓う警笛を天まで届けと今日10:38に列車が警笛を鳴らしながら通過し犠牲者の冥福を祈る(5月14日京都新聞夕刊より)

事故が起きたのは1991年5月14日10:35ごろだった。当時、信楽で『世界陶芸祭セラミックワールドしからき91』が行れたため京都から臨時快速の直通列車が運行されていた。この際に新たに小野信号所が設けられ列車交換ができるようになりダイヤの増発もあった。

ところが何回かの信号トラブルにより列車の運行遅延などの障害があったが事故当日はJR西日本•小野信号所•信楽高原鐵道との連携がないままJR西日本の臨時列車と信楽高原鐵道の列車が、それぞれ出発し小野信号所<>紫香楽宮駅間で正面衝突してしまった。

列車の事故は、すさまじく死者42人。負傷者614人と平成以降の鉄道事故では大きな鉄道事故であった。(当時の産経新聞による)

当時の自分は高校2年であり、テレビのニュース映像を見てゾッとした。このころ一度、鉄道で信楽に行ってみたいと思ったが事故が起きてからは行く気が消滅した。

運行再開後は小野信号所は閉鎖され貴生川(きぶかわ)駅からのJRから信楽高原鐵道に繋がる信号も撤去さら信号システムも自動閉塞から、スタフ票券(タブレット)閉塞方式に変わってからは事故もなく安全に運行している現状であった。

安全に終わりがないと二度と事故が起こらないために事故現場周辺には安全の碑と慰霊碑が建てられた。



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