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地球上の全人類がマスクをしている2020年に、想うこと。

2020年がもう7ヶ月も終わったらしい。
こんなにも奇妙な時間を過ごしている年は間違いなく他にないし、願わくば、後にも先にもこれだけであって欲しい。
時間が止まっているのに、でも勝手に流れているこの感じを、奇妙以外に何と形容しよう。ほとんどを家で過ごさざるを得ない毎日なのだから、目まぐるしいトピックや出来事も少なく、日々は人生で最も、平坦に近い。
それが、どうやら私だけではないのだ。私の友達や家族はともかく、世界中全員がおそらく同じように感じているという、世にも奇妙な、この感じ。

この間タクシーでナイロビの街を走りながら、押し並べて全員がマスクをしている姿を見てふと、今地球上でみんなマスクをしているのだ、と思うと、私は不謹慎にもニヤりとしてしまった。
それはどこか、モンゴルのだだっ広い大草原に、ぽつりと佇む真っ白なゲルに泊まったあの夜、お父さんがおもむろにポケットから携帯電話を取り出した時と似ている。あるいは東チベットの谷深くに隠れる小さな町で、深紅の袈裟を見に纏った高位の層が、サッと胸元から当時最新のiPhone6シャンパンゴールドを取り出した、あの時のような。

この世界には、77億人というちっともピンと来ない膨大な数の人がいるらしく、異なる言語を話し、異なる肌や目の色を持ち、異なる宗教を信じ、異なる文化を重んじている。異なる、ということだけが理由ではないけれど、しかし多くはそのことが原因で、私たちは相容れず、争いあったり、憎しみあったり、蔑みあったりしている。世界で生きれば生きるほど多様性が如何に複雑かを思い知り、“私たちはみんな同じ人間だから必ず分かり合える“、というのはどうも、私には綺麗事に響いてしまう。だって私たちは皆それぞれに、選ぶ余地もなく異なるバックグラウンドの元に生まれ、そこに生じる違いは、時に覆しようもなく不平等だ。BLMの一連の出来事、香港での国家安全維持法の施行、ロヒンギャ難民問題、その他多くの、世界中で今この瞬間も起きている遣る瀬無い出来事を見聞きするたびに、寧ろ私たちはこんなにも同じでも平等でもなく、ちっとも分かり合えないのだ、ということをきちんと理解していることの方が、ずっとリアルで重要な気がしている。

そう、そんなにも私たち人間は、あらゆる点において異なる者同士の集合体なのに、この地球上でいま、マスクで口を覆うことだとか、携帯電話はもはや必須でその中でもiPhoneは画期的だとかの価値観は、何故かしっかりと共有している。というどうでもいい事実に、私は少し、微笑みたくなってしまうのだ。私はあなたの信じる宗教をきっとわからないし、私はあなたが話す言葉も習慣もわからない、でも、私もあなたと同じようにマスクをつけるし、携帯電話も持っている。

いつか見たドキュメンタリーで、人類に与えられた最大の能力は、共感する力だと言っていたのを思い出す。他のどんな動物に比べても、こんなに事情や感情の絡み合う生き物は人間以外にいない。そんなバラバラの私たちを繋ぐ大切な要素が、共感するという能力。こんなにも異なる全ての人間に、でも普遍的に与えられた感覚。

モンゴルでお父さんが携帯電話を取り出したあの時、チベットで僧がiPhoneを取り出したあの時、そして道端の全員がマスクをしているのを見たあの時。私に共通して宿ったのはきっと、言葉も文化も異なる見ず知らずのこの人と、なぜか繋がっている、という感覚。きっと宗教や歴史や文化の話をし出せば分かり合えないこの人と、でも確かに何か同じ感覚を共有している、というちょっとした親近感。

それを私は、愛おしい、と思う。今日もタイムラインに流れてくる世界のどこかの見知らぬ誰かの話を読みながら、でもこの人も携帯の電源が切れそうになると焦ったりするのかなとか、出かける前にマスクが見つからなくてあたふたしたりするのかなと思うと、途端に全く知らない人の気がしてこない。

見知らぬ国の、あるいは地域の、県の、町の、誰かのことを耳にする時、とりわけそれが、悲しいものである時に、あまりに違う世界のことすぎてピンと来なくて、どう思っていいのかわからないことは、当たり前にある。
そんな時、私はいつも思い出すようにしている。この人も、携帯を握り締めて好きな人からの連絡を待ったり、マスクが息苦しくてつい鼻を出してしまうのかな、と。

そんな身近で些細な共感が、実はとても大切で、それこそが世界を変えられる何かの源なのだと、私は割とかなり真剣に、信じている。

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