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何で評価されるべきなのか?

おはようございます。中嶋です。
今日は1月23日(日)です。1月も早いものでもう残り1週間程度…
早いですね…本当、時間が過ぎるのはとても早いです。

時間を無駄には本当したくないですね。

さて、今日は評価について少し書きたいと思います。
人は色んな事を評価されながら生きていきます。
通知表もそうだし、テストもそうで、内申書もそう、大人になればいろんな視点で評価されていくし、僕らの仕事も試合に勝つと言う側面と、その効果、そして、選手の成長度合い、色んな部分で誰かから評価されていくのでしょう。

この記事だって、その内容、いいねの数、閲覧数、シェアの数、色んな所で色んな評価の仕方があります。
後は、僕が誰だ?ってこともその多くを占めてて、内容よりも僕個人のパーソナリティというか、ブランド的な価値というか、きっとそういうものも関係していくのでしょう。

テレビ番組じゃないけど、ラベルでワインの価値を理解できる人も居れば、ラベルではなく味で分かる人も居ると言うこと。

さて、あなたはその本質だったり、一流の物だったり、その価値や意味を正しく評価出来る人ですか?

それとも、みんながそれだからって理由で、それを良いと評価してないですか?

特に、今の時代は、色んな情報が可視化されやすい世の中なので、どうしてもその表面的なものに囚われすぎるし、その本質に届きにくいし、ある意味表面的なものだけでも良い感じに見せていたら、それでみんなは良いように捉えてもらえるし、だから本質だったりはそんなに大きな価値に繋がらなくてもいいような時代なのかもしれないですね….

だからこそ、本物に触れる機会、一流を感じる機会を、作ってほしいと思います。
本物はいつも本質に触れています。
その本質を感じ得ているからこそ、正しく評価される立場にいるのです。

ブラジル人だから、サッカーが上手いとは限らないし
怖そうだから、怖い人っては限らないし
日本人じゃなくても、日本のこと好きな人は居るし
僕は、そんなに良い人では無いし 笑

本質を見極めたり、見抜けたり出来る事で、違う観方も出来るしより本質的な所に触れれるのではないかな? と、思うのです。

でも、その評価の仕方には、色んなバイアスがかかってくるのも確かで、自分が良いと思ったものでも、世の中の逆を走っていたら自分の軸ではなく、他人の評価に依存することで安心したりするのもあるんじゃないかな? と、思ったりしています。

評価って人それぞれで違うものだし、実際何が正しいのか? なんて分からないものです。

僕の押入れの中に、もしかしたら誰かにとってはとてつもない価値あるものがあるかもしれないし、誰かが要らないものが僕にとってはとても価値あるものかもしれないし、であれば、評価、価値のマッチングで出来れば幸せなんだろうし、それがズレていればずっと押入れの中に眠っている存在になるのかもしれません。

だから、まとめで言うと!

押し入れから出て、自分の価値を正しく評価してもらえる場所に自ら動くと言うこと!!! 

時間はそんなにあるわけではないので、そんな場所に動かないとずっと自分の才能を評価してくれる人とは繋がらないからね。

良くない評価をする人の為に押入れに閉じこもるぐらいであれば、そんな人気にせずにもっと良い評価してくれる、本質を理解してくれる人に出会う事がもしかしたら人生の価値の分岐点になるのかもしれないね。

あなたは、そして僕は、何で評価されていくのでしょうか?

それこそ、その本質を見間違えないで生きていたいと思います。

では、皆さん良い日曜日をお過ごしください!! 




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