見出し画像

堀 紘一 名言集 『コンサルティングとは何か』(2)




堀 紘一 名言集 『コンサルティングとは何か』(2)

『コンサルティングとは何か』(2011年5月10日 第1版第1刷発行 PHP研究所)は、堀紘一氏が戦略コンサルティングの第一人者として、コンサルティングについて余すところなく書き綴った、優れた書籍です。

略歴は著者紹介に譲るとして、堀 紘一氏はボストンコンサルティンググループ日本法人代表、ドリームインキュベータ(DI)創業者となり東京証券取引所に上場させました。単なる戦略コンサルタントではありません。

DIは現在電通グループ(電通G)の傘下にあり(電通GがDIの株式を20.95%保有しています。 2022年9月30日現在)、堀氏は代表取締役を退任されています。

著名な経営者と「経営の本質」を議論し獲得した知見は類まれなものです。

優れたビジネス書を数多く執筆しています。難しい言葉は極力排除し、エピソードを交え、誰にでもわかるように解説しています。

本当に優秀な人は、難しい内容を平易な言葉を用い、誰にでもわかるように説明できる人です。堀紘一氏はまさにそんな人です。

*<>は堀紘一氏の書籍で、このコーナーで紹介した書籍の中の名言の通し番号です。1冊の中の通し番号ではありません。



¶自分が経営のプロでなければ人に教えられないというのであれば、コーチという職業はこの世から消えてなくなるだろう

 自分が経営のプロでなければ人に教えられないというのであれば、コーチという職業はこの世から消えてなくなるだろう。プロスポーツの世界では、一流のコーチが現役時代も一流選手だったとは限らないのが常識だ(もっとも日本では、タイガー・ウッズのコーチはタイガーよりゴルフがうまくなければならないなどという暴論がいまだに聞かれるが……)。  

『コンサルティングとは何か』 
堀 紘一の名言1<157> 


¶日本への関心は、日本企業に対してコンサルティングを提供することよりも、輸出攻勢を強める日本企業への対抗策を練ることや、外資系企業の日本進出の足がかりを作ることに主眼が置かれていた

 一九六六年、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ 注:藤巻隆)は、ボストンに次ぐ二番目の拠点として東京オフィスを開設した。創設後三年というスピードもさることながら、マッキンゼーの日本進出は一九七一年、ブーズ・アレンやベインに至っては一九八〇年代に入ってからだから、BCGがいかに早くから日本に注目していたかがよくわかる。
 だが、このときの日本への関心は、日本企業に対してコンサルティングを提供することよりも、輸出攻勢を強める日本企業への対抗策を練ることや、外資系企業の日本進出の足がかりを作ることに主眼が置かれていた
 実際私も、ホワイトハウスからの依頼で、日米交渉を有利に進めるためのネタ提供や論理構築の手伝いをしたりした。いかにコンサルタントは外国人傭兵といえ、「日本人として、こんな仕事をしていいのだろうか」などと思った記憶がある。
 そのような状態が長く続いたため、いち早くBCGが進出したにもかかわらず、戦略コンサルティングという概念が日本に広まることはなかった。それは、私がBCGに入社した一九八一年春の時点でも変わらなかった。

『コンサルティングとは何か』 
堀 紘一の名言2<158> 


¶このホンダの案件は、まさに日本における戦略コンサルティング活用の嚆矢であった

 そうした状況にあって、先進的な日本企業のいくつかが、戦略コンサルティングの導入を検討し始めた。
 中でもいち早く導入を決めたのは、ホンダであった。一九八一年の夏、私がBCGに入社した数ヵ月後には、ホンダの第一号案件が始まっていた。そこに、まだ新米だった私が関わっていくことになる。このホンダの案件は、まさに日本における戦略コンサルティング活用の嚆矢であった

    『コンサルティングとは何か』 
堀 紘一の名言3<159> 


✔ 出典元

『コンサルティングとは何か』
2011年5月10日 第1版第1刷発行 PHP研究所


✍ 編集後記

🔶  『コンサルティングとは何か』は堀氏の経歴に違わない内容の本です。堀紘一氏が執筆したすべての書籍の底流に流れているのは、まさに「本質」です。

すぐに廃れてしまうハウツーものとは根本的に違います。

私たちは新奇さに目を奪われることなく、常に「本質」とは何かに着目する姿勢を貫きたいですね。

勉強は一生続けることが大切です。世の中は常に進歩しているのですから。劇的な変化にも必ず「予兆」はあります。感度の良いアンテナを張り、見逃し、聞き逃ししないようにしましょう!

「まだ若いし時間があるからまだいいや」とか「高齢だからもう勉強はしなくていい」という考え方は改めた方が良いです。

勉強は一生を通じて行なうことです。もちろん、読書だけが勉強ではありません。いろいろなことを経験するのも勉強です。

失敗から学ぶことはたくさんあります。失敗は経験したからです。チャレンジしたから失敗したのです。失敗したくなければ何もしないことです。
しかし、それでは何事もなしえません。

書籍は手許に置いておけば、いつでも何度でも参照することができます。
自分で「ここは重要だな」と思った個所に色鉛筆で線を引くとか、付箋を貼るとかしておけば、後で読み返した時、「当時はこんな個所に着目したのだな」と思い出すことができます。

逆に、見落としていた個所や、当時は重要と思っていなかった事柄が重要なポイントだったと気づくこともあります。

「この本は良書だ」と思ったらその本を何度も読み返すことが重要です。

一度読んだくらいですぐに理解できたという著書は、中身は大したことはないと判断するべきでしょう。「韋編三絶」という言葉がありますね。

私がnoteに「名言集」を投稿するのは、ごく一部を切り取って紹介するのではなく、その言葉はどのような文脈で発せられたのかが重要だと考えているため、関連した個所もできるだけ紹介するようにしています。

そして、投稿する際に、堀紘一氏をはじめ、数多の著名な人物の書籍を再読する機会を得ることが私にとって有益だと考えています。

なぜなら、最初に読んだ当時と、年を取ってから再読した時を比較すると、「気づき=重要な点」が異なると思ったことが何度もあったからです。

速読ですぐに読めてしまうような本は中身が薄いと思っています。
例えば、哲学書が速読で理解できますか? じっくり考えながら読まなければ理解のための手がかりさえ見つけることはできないと考えています。

つまり、速読できる本とできない本があると考えています。


🔷「自分が経営のプロでなければ人に教えられないというのであれば、コーチという職業はこの世から消えてなくなるだろう」

プロスポーツの世界では、「名選手、必ずしも名監督にあらず」という言葉があります。

例を挙げるとすれば、アルゼンチンのサッカー界のスーパースターだったディエゴ・マラドーナです。

選手として、「W杯には1982年、1986年、1990年、1994年と4大会に出場。1986年メキシコ大会ではアルゼンチンを頂点に導いた。所属クラブではアルゼンチンのボカ・ジュニアーズ、スペインのバルセロナ、イタリアのナポリなどで活躍した世界的なスーパープレーヤーだ」(「名選手、名監督にあらず」の格言を実証したスーパースターたち 2021年01月14日 10:55 公開)ったのです。

ところが、監督としては次の通りでした。

2010年南アフリカW杯にアルゼンチン代表監督として臨んだ。
(中略)
監督経験は乏しい。薬物違反で出場停止中だった現役時代(1994年〜1995年)に、デポルティーボ・マンディージュとラシン・クラブの監督を務めたことはあったが、1997年に現役を退いてからは、一度もどこかのチームで采配を揮ったことはなかった。

その意味では、代表監督就任は無謀とも言える人事だった。
案の定、アルゼンチン代表は大苦戦。南米予選では南米枠(4.5枠)外の5番手に転落したこともあった。最終的にはなんとか4位で本大会出場を決めたが、そこで馬脚を現した。対戦相手に恵まれ、ベスト8に進出したものの、ケープタウンで行なわれた準々決勝で、ドイツに0-4という屈辱的スコアで大敗する。
(中略)
守備力に問題のあるメッシをどこに配置したらリスクが少ないか。現場で見た者にとって、マラドーナのメッシ起用法は"ダメ監督のダメ采配"そのものに見えた。高い位置からプレスをかけてくるドイツの餌食になることは、戦う前からわかり切っていた。

戦前の予想がここまできれいに的中したケースも珍しい。マラドーナ監督が"名選手、名監督にあらず"であることを世に知らしめた一戦となった。

「名選手、名監督にあらず」の格言を実証したスーパースターたち
Web Sportiva 2021年01月14日 10:55 公開


例外を挙げるとすれば、イングランドプレミアリーグのマンチェスター・シティ監督のペップグアルディオラです。

選手時代、「FCバルセロナでは12シーズンで479試合に出場して16個のタイトルを獲得した」そうです。スーパースターです。

選手を引退し、監督になってからも華々しい活躍を続けています。

ジョゼップ・グアルディオラ Wikipedia

詳細についてはWikipediaをご参照ください。


🔶「はじめに」にこんなエピソードが記されていました。

 私は、ハーバード在学中の二年間、それこそ毎日休みなく勉強に励んだ。その努力が、ハーバード三〇〇年の歴史の中で、日本人初の金バッジの栄誉へとつながったかと思うと、感慨もひとしおだった。
 ちなみに、ベイカー・スカラーの名は、ハーバードに多額の寄付をしているベイカー氏への謝意を表している。図書館もベイカー・ライブラリーと呼ばれている。東大に多額の寄付をした安田財閥の名を取って、安田講堂と呼ばれているようなものだ。
 晩餐会のさなか、私は二年前に言われたビショップ教授の言葉を噛み締めるように思い出していた。教授は、私をからかったわけでも何でもなかった。「君は最高の学問をしている」という言葉の意味が、「何が問題か」を定義することがビジネスの世界では最も重要な問題であるということが、今の私にははっきりとわかる。そして、教授を訪ねたまさにあのとき、私は深い学びの場にいたということも……。

 『コンサルティングとは何か』堀紘一 
pp. 6-7 

✒ 堀 紘一氏の略歴

ドリームインキュベータ代表取締役会長。
1945年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒業後、読売新聞経済部を経て、1973年から三菱商事に勤務。

ハーバード・ビジネススクールでMBA with High Distinction (Baker Scholar)を取得後、ボストンコンサルティンググループで国内外の一流企業の経営戦略策定を支援する。

1989年より同社代表取締役社長。

2000年6月、ベンチャー企業の支援・コンサルティングを行なうドリームインキュベータを設立、代表取締役社長に就任。

同社を2005年9月、東証1部(現・東証プライム:注 藤巻隆)に上場させる。

2006年6月、同社会長に就任。

主な著者に、『世界連鎖恐慌の犯人』(PHP研究所)、『突破力』『「真のリーダー」になる条件』(以上、PHPビジネス新書)、『人と違うことをやれ!』『30代から大きく伸びる人の勉強法』(以上、PHP文庫)、『一流の人は空気を読まない』(角川 one テーマ21)、『新版 リーダーシップの本質』(ダイヤモンド社)、『ホワイトカラー改造計画』『「心の時代」の企業革新』『21世紀の企業システム』(以上、朝日文庫)、『一番いいのはサラリーマン』(扶桑社文庫)など多数。
(『コンサルティングとは何か』の著者紹介から)


✒ 堀 紘一氏の略歴補足

2020年に堀氏はDIの取締役を退任し、DIは電通の傘下となりました。
近況は下記をご覧ください。
「セカンドライフ」を謳歌しているようです。



⭐出典元: 『コンサルティングとは何か』



クリエイターのページ


大前研一 名言集


カリスマコンサルタント 神田昌典


堀紘一 名言集


考え方


サポートしていただけると嬉しいです。 サポートしていただいたお金は、投稿のための資料購入代金に充てさせていただきます。