往復書簡 2024/01/22 イマヘイ→ケケ谷
年が明けた。
確か1999年から2000年に変わる時、
実家に帰省していた私はカウントダウンに合わせて
2階にある大きな木の梁にぶら下がり2000年を迎えた。
つまり、2000年に変わった時、私は宙に浮いていたため、
地上に存在していなかった、ということになる。
というネタを誰かに言いたくて。
そして誰にも話す機会がなくて、そのまま23年が経過し、
2024年初めてここの記事にて披露することができた。
今年は何か期待できそうだ。
と思っていたら年はじめ早々から
悲惨な出来事が続いた。
かつての3月11日の空気と違う別な生き物だった。
悲しみに寄り添う時間もなく、都内は時間がいつものように進む。
次から次と報道される悲しい出来事に「おいおい、ちょっと追いつけない」
って気持ちになる。
せめてもと思い、コンビニの募金箱に硬貨を落とす。
日常を過ごすことしかできない。
誰かに「それで良いのだ」と言ってほしい。そんな感じです。
いつも朝はJ-WAVEの別所さんを聴いている。
こういったナビゲーターの方もどんな日でも
元気な声を出さなきゃいけないんだよなあ、と思うと
「強えな」って思う。
剣道で鍛えたはずの気力が萎んでいる。
どうして、こんなに処理しきれない分量の悲しみがやってくるのか。
2023年年末にLUNASEAを聴いた。
かつての名盤「MOTHER」「STYLE」をセルフカバーしたもので
ジャケットワークのセンスにも脱帽した。
聴いてて、何か泣けてきまして(笑)
全曲美しくアレンジされていて、カッコよかった。
当時、高校1年の冬、ルナシーの耽美的なサウンドに
酔いしれていた頃を思い出して、
ウォークマンで聞いていた風景。
つまりは
「東青森駅の線路沿いの外灯」
「駅待合室の陰鬱」
「読経が聞こえる堤川沿いの道」
「青森高校合宿所のかび臭い部屋」
「側溝から湧き上がる白い煙」
「浅倉大介推しの竹谷氏」
などの風景がフラッシュバックして、ノスタルジック全開。
歳を重ねると、思い出が美化されてきます。
大切なのは今。
あの頃は良かったね、と言うつもりはさらさら無いのだけれど・・・。
時を戻そう。
そういえば正月休みにヴェンダースの新作を見ました。
自分的には主役の役所広司も良いのだが、
脇役の方々の方が印象に残りました。
渋谷区のトイレを刷新するプロジェクトに
ヴェンダースが参加してくれたようです。
日本人の静謐さが良く表現されていました。
風や木々のざわめきの音が気持ちよくて。
すべての事情が明らかにされないで終わるのですが、
それが心地よかった。
どれだけ説明の多い映画やドラマに侵されていたか、
思い知らされました。
この映画のおかげで「幸田文」を読むことができたのは
嬉しい収穫でした。
たしかにスマホ1台あれば映画撮れる。
20万、30万かけてVX1000、VX2000、iMac、とか
買っていた当時を思うとワロスです。
しかし、あのパンクロック的な初期衝動は
今でも胸に焼き付いている。
他人を感動させるどうのこうの、の前に自分らが
鼻血が出そうなほど興奮していた。
北区田端のアパートで生きていることに興奮した私は
本当に鼻血を出したことがある。
生命力の放射をしたかった。
自主映画を作ることのハードルはスマホの普及により
容易になったと思うが、
何でもやれると思うと逆に何にもやらないようになる、のではないだろうか。
自主映画に燃えていたあの頃は貴重な時間や熱量はそのままで、
今は何かに変換されている、そう思っている。
成人の日の夜、共用廊下に出てみると、向いの公園から
何やらギターの弾き語りの音が聞こえてきた。
若い声だった。
若者が興奮して騒ぎ始めたか、と懐疑的な視線を公園に向けると、
何やら聞き覚えのある歌が。
ブルーハーツの「チェインギャング」だった。
仮面をつけて生きるのは~息苦しくてしょうがな~い~、と絶叫していた。
どうしてこの歌を歌ったのか不明だが、この曲をチョイスしたセンスが良かった。
君に幸あれ。
まだまだ、捨てたもんじゃない、そう思った。
2024年が動いた。
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