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小説・祭りのあと① —学生運動から日常に戻った青年の話―

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遠くから、聞き慣れたシュプレヒコールの声が、新緑の風に乗ってやってくる。以学館の地下の学食で、久しぶりに一番豪華な80円のA定食を食べ、眠気が催してきたところだった。今の私には、心地よい子守唄のようなものかもしれない。去年までの生活に比べ、落ち着いてはいるが変化のない平穏な日々が過ぎていく。何とは無い虚無感に浸りながら6号館前のベンチに寝転びウトウトしている。


と、突然にまったりとした空間を裂くように、軽やかだが私の嫌いなエンジン音が近づいてくる。

(あぁ、またあいつだぁ)

“理工学部のプリンス”と呼ばれている彼は、我々に学問を教える気など遠の昔に無くし、今は我々を遊び相手にしているに過ぎないのではないかと思う。―いや、我々学生が真摯に学問に取組む気など毛頭無いのが本当の原因だろう。

私の寝転がっているベンチの前で、耳障りな音をたて、“ハーレー何とか“という自慢の大型バイクを停めると、颯爽と降りてきた。5月というのに上から下まで黒ジャンで身を包んでいる。いつものお決まりの格好である。嫌な野郎だ。こいつが本当に助教授かと思うことがよくある。

「よう、おったんか。卒論の準備は順調にいっとるんか?」と、挨拶代わりに聞いてくる。

「毎年同じことを4回生にやらせておいて、準備も何もほとんど必要ないくせに」と内心思いながら、それでもご機嫌をうかがうように「順調ですよ」と答える自分に嫌気がさす。

京都に下宿して3年余り。2流私大の理工学部に通わせてもらっている身としては留年する訳にはいかない。約2年間続けた学生運動のツケを、前年ではとても取り戻すことはできず、4回生になっても、まだドイツ語や体育の授業を受けている。この状態が許されるのは、さすが2流私大だからであるが、プリンスの配慮に負うところも大いにある。去年やった位の勉強を受験前にやっておけば、希望の大学も落ちなかったかなと今になって悔やんでも後の祭りにしか過ぎない。

突然、卒研の部屋から「吉岡は午前中、広小路の文学部でドイツ語の授業を受けてきよりましてん」と、言う声が聞こえてきた。院生の岡本だ。こいつも気に食わない奴の1人である。何を考えているのか、やる気があるのか、全く摑みどころがない。四国出身で5年ほど京都にいるはずだが、変な抑揚の関西弁らしきものを発するのには虫唾が走る。

しかし、いったい岡本のやつ、こんな2流私大の大学院にいって何をする気なんだろう? 大した社会的評価もないはずだし、本人のやる気も感じない。働くのが否なのと、家が多少裕福ということが現実なんだろう、と自分勝手に判断している。

それは岡本だけの話ではない。教師・助手・院生・学部生のほとんどに、学問に対する情熱を感じることなどめったに無いのは、2流大学だからに違いない。当然私も同じである。しかしだからこそ、就職先を少しでも条件の良い、名の通ったところにするには、3年間の通知表次第なのである。総合判定でAからEまでのランク分けされ、それにより学校推薦が決まるのだ。

この3月から同じ卒研の田中が3社受験したが、全て落ちている。土木業界は好況で、2流私大とはいえ、西日本私学の土木では一番レベルの高い学校と云われているのに、どうなっているのだろう。やはり、しょせんは2流なのだろうか、それとも田中がよっぽどバカなのか。2人の存在を無視して、こんなくだらない事を考えながらベンチに寝転がったまま心地よい風に当たっていると、昨日4社目の面接を終えた田中が、朝田と一緒に機械科棟のほうからやって来るのが見えた。

いつもの通り、田中が一方的に話している。これまでもそうだったが、面接のあとは特に饒舌になり、聞いている我々には受かって当然のようにいつも受け取れた。しかし、3度の結果は無残なものであり、その都度、彼の受けるショックは大きく、落ち込みもひどいものであった。今回も受けた直後の彼の精神状態は、今までと同じハイなのだろう。

ベンチの我々に気づき、いつもどおり満面に笑みを湛え、眼鏡の高さまで挙げた右手の指を2本立てて、開口一番「今度は完璧や」と言って近づいてきた。それに合わせ「今度こそ、成績優秀で採用されると思うわ」と、朝田が言う。「アホウ。アホウを調子に乗らしたらあかんで。まだ分からんのか」と思いながら、ひょっとしたら今までと違って2部上場の企業やから、今度こそ大丈夫かな、とも思った。1回生からの仲間4人のうち3人が同じ卒研にきたのだが、一番人気の無い、そして企業からも全く相手にされない卒研であった。それに田中はD評価で、ほとんどの科目が合格最低ラインの「可」であったが、本人には、その実情認識が全く欠如している。

「最後の夏休みに、卒研全員で旅行しようや。俺が計画するわ」と、もう受かった気持ちで田中が言う。「おぉ、それええな。能登半島にしようや。ええとこやで」と、調子に乗ってプリンスが相槌をうつ。「そうやねぇ。それええわ」と変な関西弁で岡本が窓から身を乗り出して追従する。これもいつものパターンでしかない。「ボケ。内定貰ってからにしろ」と言いたいし、田中以外はまだ1社も受けていないのだ。

朝田の親元は2部上場企業の社長一族で心配は無いのだろうが、私はしがないサラリーマンの息子である。そこそこ名の通った堅実な会社に行きたいと考えている。1年余り前に学生運動をやめたのも、学生運動に対する考え方とその行動に、どんどん違和感を抱くようになってきたのと同時に、卒業・就職について自分なりに考えた結果であった。そもそも学生運動に走ったのは、希望する大学をすべり、その鬱憤をぶつけるためのものでしかなかったかもしれない。周りの連中も、多くの者が似たようなところがある様に見えた。しかし運動仲間の京大の連中は、純粋に考えている者が多いんだろうな。とも思った。

やはり、旧帝大と2流私大との差は、何ともしがたいところがあるのだろう。学生運動も、全国的にこの2、3年ですっかり下火になり、学校封鎖などは、全くといっていいほど無くなってしまった。何をやっても変わらないことがわかり、それとともに運動の内容が、どんどん先鋭化して、一般学生と乖離してしまったためであろう。私もその行動がエスカレートしていく様子についていけなくなった1人である。

朝田、高山は一緒にデモにも参加し、夜遅くまで狭く薄暗い下宿で酒を呑みながら政治のことや大学のあり方について議論し合ったものだが、田中は完全にノンポリ・日和見主義でしかなかった。そういう話には全く興味を示さず、ジャズやオーディオ機器が大好きな人間である。吹田にある老舗の蒲鉾屋の息子で、良く言えば性格が温和なのかも知れない。しかし、私から見ればやっぱりバカはバカなのだ。この時分のこの大学の理工学部の学生は、2流大学ではあるが地方の所謂進学校からの学生がほとんどであった。即ち、言い換えれば一流高校の落ちこぼれ学生の集まりである。その中にあって田中は、大阪の2流高校で私学受験一本の学生であり、珍しい内の1人である。

田中が物知り顔で就職試験について講釈を言っているのを聞き流しながら、「俺、下宿に帰るわ」と言って、スリッパから下駄に履着替えるために立ち上がった。プリンスが「卒論の準備が順調やったら奥でマージャンしようや」と声をかけてくる。「こいつ、またおれ達から金をまきあげるげる気か」と思いながら「金無いし、止めとくわ」と言って、薄暗く煙草の煙で空気の淀んだ部屋から光の眩しい外に出た。

シュプレヒコールは既に無く、ただ、ゴールデンウィーク中のがらんとしたキャンパスに、気持ちのいい風だけが吹いていた。

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この小説公開に至った思い、父と私の話はあとがきにつづりました。

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