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小説「僕が運命を嫌うわけ」③

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その後の中学生活は明日香とその友人グループに出くわすたび、地獄の記憶がよみがえることとなり、苦渋に満ちたものになった。


「おかげで、第一志望の高校に行けなかった」

という怪しい正志の本人談を、智也は一応信じることにした。

悲しいかな、明日香は正志の第一志望の高校へと進学した。ほっとしたような、悔しいような、自分でもどう説明したらよいか分からない複雑な思いが一瞬だけ正志の心をかすめたが、それを最後に明日香の思い出を封印した。


正志にとって智也は高校からの同級生だ。正志の口から明日香のことが語られることはなく、智也はその存在を知らなかったのだが、3年後、幸か不幸か3人そろって同じ大学に進学した。もちろん正志と智也は以前から志望大学が同じことを知っていたが、まさか前野明日香が一緒とは想像だにしなかった。


そしてここ最近、おかしな歯車がかみ合ってしまい、前野明日香と連続して鉢合わせるという事態が起こり、正志が長らく封印していた過去とともに、智也も同級生となった前野明日香のことを聞かされた。


これが正志の話でなければ、茶化してネタにでもしていただろうが、いたって真面目に恐れている男を見ると、とてもじゃないけれどそんな気分になれなかった。


「女は怖い」
正志は遠い目をしてカラッポな心でつぶやく。

「怖いな」

「お前も気をつけろよ」

「だな」

智也は、正志を哀れに思うと同時に、先に経験し忠告してくれた友に感謝した。


「運命なんてない。偶然は信じちゃいけない。必然のみ、信用に値する」


格言をいうかのように重々しく正志は締めた。


(なにをいってるんだ、こいつは)
と口に出さずにいたのは智也の優しさだった。


「で、中学の時のあの思い出が、今また再現されてるんだっけ?」

「そう。1回目はゲーセン。2回目は楽器屋。悪夢の再来だ」


あり得ないほどに、あの悪夢と同じシチュエーションという恐ろしい偶然が訪れていた。


「3回目の公園は、さすがにないんじゃない? たしか、親と行ったバーベキューで会ったんでしょ?」

「でも油断ならない」


正志の表情は依然硬いままだった。


「分かるよ」


うんうん、と智也が神妙な面持ちでうなずく。


智也のいうとおり、中学時代の3回目は、家族ぐるみのバーベキューイベント。しかし今、バーベキューで会うことはまずありえない。


親の同世代の友人家族の集まりだったので、その子どもは小学校高学年から中学生くらいだった。思春期が始まる時期ということで、友達や部活を優先する子どもの参加率は下がりつつあった。

そんな中で、正志は思春期特有の反抗期や親と行動を共にする恥ずかしさなんてものもほぼなかった。幼少期から変わらずバーベキューを毎年楽しみにしていたのだが、事件のトラウマであの年以降は参加しなくなってしまった。


大学生になった今年も、もちろん家族のバーベキューに参加するつもりもなければ、たとえ同級生や趣味の仲間に誘われることがあっても断るつもりだ。前野明日香のことさえなければ行くのだが、背に腹は代えられない。

両親は、「正志も親離れの時期なのだろう」と諦めながらも寂しそうにしていた。親子関係が良好な正志は、本当の理由をいう訳にいかず、勘違いさせたまま否定しなかった。不本意な理由で親を悲しませているのだから、なおのこと原因となった前野明日香に会うわけにはいかないのだ。

そんなことを考えていると、クラシックギターの音が聞こえてきた。優雅な音色に、正志はつい先ほどまでのしかめっ面から一転、目を輝かせた。


「ギターうまっ」


ストリートミュージシャンが路上ライブを始めたらしい。吸い寄せられるように正志はそちらへと向かう。智也は音楽よりも買い物をしたかったので、後で待ち合わせすることにして、一時的に別れることにした。

小腹が空いた正志は、付近にあったキッチンカーで適当なものを買って座った。上手なギターにしばらくは集中していたが、疲れがたまっていたのが一気に押し寄せて、知らない間にウトウトしていた。


遠くにギターの音を聞きながら、正志は夢を見た。


中学生の前野明日香が笑っている。起きている時に思い出したときは、意図的に暗転させてその姿を消すのだが、夢の中だと何のわだかまりもなく笑っていた。


「また会えたね」

「そうだね」

「今日は何しにきたの?」

「なんだっけ」

「わたしは、楽譜を買いに来たの」

「前にもそんなこと、いってたね」

「うん。そしたらわたしの好きな音楽が聞こえたから、それをたどってきたの」

「なに?」

「カノン」

「カノンか……って、え!?」


瞬間、電気が流れたかのようなバチっという衝撃で目が覚める。遠くに聞こえていたはずの音楽が、突然大きくなった気がした。ストリートミュージシャンが弾いている音楽は、正志も好きなカノンだった。


「前野さん!?」


正志の視界いっぱいに前野明日香が映りこんだ。仰向けで寝ていた正志の顔をのぞき込んで話しかけていたらしい。

「うたた寝をしている人に話しかけると夢遊病になる」という、本当だかウソだか分からない話を信じている正志なら絶対にやらないが、前野明日香は知らないのだろう。


「いやっ、違う。これは違う。オレは偶然、ここに来て──。あっ、そうだ、友達と──あの、智也と来たんだよ。と、智也っていうのは嘉瀬智也で、一緒の学部の」


飛び起きた正志は、舌をかみそうな勢いで言い訳をまくし立てた。


「寺田くん、落ち着いて」

「偶然だから。ほんとに」

明日香の声が耳に入っていない正志は必死で弁明を続ける。

「うん」


「智也と偶然ここに来たんだ。そう、だから別に前野さんを追っかけてきたわけじゃない。オレはストーカーじゃない!」


「知ってる!」


いつまでもアタフタとしている正志に、明日香は一段と大きい声を出した。

「え?」


ショック療法の要領で正志は正気を取り戻した。ふわふわと揺れ動いていた景色がぴたりと止まり、やっと前野明日香と目を合わせる。


「寺田くんはストーカーじゃないよ。知ってる」

「そう、よかった」

正志は胸をなでおろした。


「やっぱり、中学のときのこと、引きずってたんだね。ごめんね」

「?」

「あれ、ウソだよ」

「ええと……なんのことだっけ?」

もちろん、前野明日香がいっているのは、あの中学生の悪夢の日。女子グループの話を立ち聞きしたときのことだった。


まだ脳が追い付いていない正志に、前野明日香は改めて順を追って説明した。1か月の間に偶然出会ったこと、ある日を境に目も合わさなくなったこと──。


「村井恵って覚えてる?」


女子グループのリーダー的存在のあの子のことか。

「ショートカットで運動神経もいい……」
気の強そうな子だよね、といいかけて口をつぐむ。


「そう、その村井さん。寺田くんのことが好きだったのよ」
と明日香。


「は? ウソだ」

とっさに口走ってしまった。村井恵とはどこかの学年でクラスが一緒だったような気はするが、まさか、そんな素振りを見せたことはない。


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