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メモ 士官学校で教えるべきは何か?

19世紀以降、欧米の軍隊では士官を養成する専門軍事教育制度を整備し、部隊の指揮官や幕僚の供給を確保しました。これは現在でも軍隊教育の基礎となっていますが、20世紀に総力戦の時代が到来したことで、軍隊の業務が政治、経済、社会と複雑に関連し、士官の職務が非軍事的領域に拡大するようになると、軍隊教育の内容を見直す機運が高まってきました。

1945年に第二次世界大戦が終結してから、アメリカでは専門軍事教育の有効性を見直す調査研究が行われていますが、その成果の一つとしてジョン・マスランドとローレンス・ラドウェイの業績『軍人と学者(Soldiers and Scholars)』(1957;邦訳1966)があります。この記事では軍隊の教育改革の論点の一つを示すため、初級士官の養成を目的とした士官学校(service academies)の教育内容に関する著者らの議論を紹介します。

士官学校の教育内容は基本的に一般大学に比べて25%から30%ほど長く、その内容も多岐にわたっています。しかし、士官学校は戦闘で部隊を指揮する能力を獲得することが学生に期待されており、単純な比較はできません。士官学校の学生は軍隊の規律を受け入れ、独特な躾教育を受けた上で、民間人の生活とは異なった生活様式に沿って行動することを学ぶために多くの時間を費やさなければなりません。教育全体を通じて体育教育が重視されていることも一般の大学とは異なっており、軍事学の教育でも学科より実技が強調されるため、定型的な職業訓練としての性格が強くなることも著者らは指摘しています。

著者らが問題として提起しているのは、いずれの士官学校でも教育で実践性、実用性が追求される傾向にあるため、教養的な教育内容が軽視されやすいということです。この傾向は海軍兵学校(海軍士官学校)で特に際立っており、技術的、実技的な教育が伝統的に重視されてきました。著者らは、1956年にアメリカ工学教育学協会(American Society for Engineering Education)がまとめた調査結果を踏まえ、技術的教育の意義を尊重しつつも、広い見識を持たせる方向に教育の内容を見直すように提案しています。

工学教育関係者の間では、学生に人文・社会科学を学ばせる利点が認識されていましたが、工学それ自体が高度化、複雑化していく中で人文・社会科学に教育リソースを配分することは、工学教育の水準を低下させることに繋がるのではないかという議論がありました。このことを踏まえてアメリカ工学教育学会が教育の実例を調査しています。その結果、教育方針を工夫すれば、人文・社会科学の基礎概念を与えつつ、学生の工学的訓練を両立させることは可能であるという判断が示され、それによって教育の成果を改善させることができると評価されました。

著者らは、こうした調査結果を踏まえ、士官学校の教育の方向性を見直すことを提案しています。アメリカ軍の正規将校の半数近くを供給する予備役将校訓練課程(Reserve Officers' Training Corps: ROTC)の教育では、必ずしも技術的教育を重視しているわけではありません。しかし、彼らが士官学校の卒業生に比べて能力で劣っているわけではなく、著者らは士官学校の教育の有効性について見直すことは必要であると論じています。

陸軍士官学校や海軍兵学校と比較すると、空軍士官学校の教育は学科教育の半分の時間を人文・社会科学に割り当てることが決められており、バランスのとれた教育の充実を図っていることが高く評価されています。この成果を踏まえた上で、陸軍士官学校、海軍士官学校では、伝統的に受け継がれてきた教育内容を見直し、歴史学、心理学、国際関係論、比較政治学などを学ぶ時間を確保すべきであるというのが著者らの提案の要点です。軍事学教育で実施されている職業準備訓練的な内容については卒業後の補充教育に移すことも検討すべきとされており、それが実現すれば3ヶ月分の教育時間を捻出できるという見積を示しています。

教育の速さを緩和することも士官学校に共通の大きな課題であり、あまりにも短期間に多くの知識を詰め込もうとすると、学生は時間の節約のために試験をごまかす方法ばかり考えるようになると指摘されています。つまり、授業において重要な思考過程を聞き捨て、教員の結論を暗記するようになってしまうのです。上級士官となるにつれて自ら問題解決を試行錯誤しなければならない場面が増えていくため、他人に依存するのではなく、自分で思考を組み立てることができる能力を育むことの重要性が改めて強調されています。

学校教育の有効性評価は、社会や組織で必要とされる能力と、職務設計の考え方で大きく左右される性質があるため、こうした著者らの議論が絶対的な正解というわけではありません。厳格に定義された定型的な職務を遂行する人材が必要であるならば、人文・社会科学の教育を重視し、軍事以外の方面の見識を持たせるような教育政策は適切とはいえないでしょう。しかし、軍隊が直面する課題の複雑さが増していることや、非定型的な職務を遂行する能力を持った士官の需要が増加すると考えられるのであれば、人文・社会科学の教育を充実させることは有力な選択肢となるのだと思います。

参考文献

Masland, J. W., and L. I. Radway. (1957). Soldiers and Scholars: Military Education and National Policy. Princeton University Press.(邦訳、高野功訳『アメリカの軍人教育:軍人と学問』学陽書房、1966年)

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