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メモ なぜリデル・ハートは軍隊の将校を大学で学ばせることを重視したのか?

イギリスの陸軍軍人バジル・リデル・ハートは、第一次世界大戦(1914~1918)の経験を踏まえ、独自の戦略理論を提唱した研究者です。彼は戦略だけでなく、軍隊における教育のあり方についても議論したことがあり、特に将校の教育に関しては改善の余地が大きいという考えを示していました。

リデル・ハートの見解によれば、軍人の業務はあまりにも多忙であるため、知識を向上させる余裕がなくなり、研究心を失ってしまう場合が多くあります。この研究心を回復させ、新しい視点で業務に取り組ませるには、将来が期待される有能な将校であれば、学問的な探求の機会が与えられることを制度化するべきだと提案しています。

「平時の軍務では、絶えず興味を持ち続ける事は稀で、むしろ興味を失うことの方が多い。将校達は下級の階級の間、あまりにも連続的に恒常勤務につくため勉学と思索の暇がない。特に伝統的に、スポーツや諸競技に向ける時間を考慮するとなおさらである。その勤務は時には興味があり時には退屈であるが、何れの場合でも、戦争の学問的研究に使用し得る時間はほとんどない。そして軍人の勤務の大部分は地方または植民地の駐屯地で過ごす傾向があり、そこは前述のような知的探求に便利な場所でもなく、知的な刺激を与えるような環境の所でもない。おそらくこれを矯正する最善の方法は、前途有望な将校たちをある期間、員外・聴講・委託学生として大学派遣勤務につかせることであろう。つまり、総合大学の特別研究員制度の考え方を軍事面で応用する制度をつくることであろう」

(邦訳『ナポレオンの亡霊』184-185頁)

もちろん、イギリス陸軍の内部にも学校はありますが、それは大学のような機関ではなく、特定の職務に配置される前に必要な知識を習得し、能力を獲得するための学校です。リデル・ハートは、すでに存在する研究成果を習得するだけでなく、まったく新しい知識を自ら生成する研究の経験を積むことの意義を強調しています。彼は職業軍人の戦史に対する知識は誰かが発表した研究成果の受け入りであることが多く、本当に専門知識を有するのは一部にすぎないと指摘しています。

「彼らの戦史研究は、後半にわたる視野の広いものでもなく、徹底的に突っ込んで研究したものでもない。すべての戦役についての何らの背景も知らず、広い知識を身に付けもせず、若干の会戦について一心不乱に勉強するという方法を習慣的に行っているだけである。まして、こうした数少ない会戦の研究は、それに関する何冊かの既刊書の記事や論評中の事実の吸収とその推論以外の何物でもない。このような他人の研究に依存して事実を知ることは、たとえそれらの本が真の研究の成果であっても、知識を得るためには余りにも他力本願なやり方である。だが、如何に多くの二次的な資料を批判的態度を忘れて収集しても、それでは事実に関するまた聞きの知識よりさらに信頼できないものしか得られない」

(同上、186頁)

イギリス陸軍の研究の水準が低いことに関しては、リデル・ハートはさらに厳しいコメントを残しており、「陸軍における戦史研究は、陸軍大学校に置いてさえ、上出来なものでも我々の目から見れば、史学部以外の在学学生の作業水準と同程度」と評価しています(同上)。こうした学術研究が欠落していることは、科学的な裏付けを欠いた、独りよがりな軍事理論が蔓延することにも繋がるとも懸念していました(同上、187頁)。

リデル・ハートがこの議論を書き残したのは1930年代のことですが、第二次世界大戦が終結してから、実際に各国の軍隊教育の内容は大きく変化しました。特にアメリカ軍は大学・大学院水準の教育サービスを独自に設計して提供できる体制を段階的に拡大しています。人的資本の形成において軍隊教育の仕組みをどのように合理化することは、ますます重要になっていくでしょう。

参考文献

Liddell Hart, B. H. 1934. The Ghost of Napoleon, New Haven: Yale University Press.(邦訳、リデル・ハート『ナポレオンの亡霊―戦略の誤用が歴史に与えた影響―』石塚栄、山田積昭訳、原書房、1980年)

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