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メモ 軍種間の予算獲得競争で促進された米海軍の潜水艦発射弾道ミサイル開発

軍隊の中で最大の組織区分として陸海空軍といった軍種がありますが、この軍種間で起こる政策競争を制度化することによって、技術革新を促進することができるという考え方があります。

サミュエル・ハンチントン(Samuel Huntington)は、政軍関係の古典である『軍人と国家』でこの考え方に戦略的多元主義、または戦略的多元論(strategic pluralism)という呼称を付与しており、それは「起こりうる各種の安全保障上の脅威に対応した、幅の広い多種多様の兵力や武器を要求する」と説明しています(邦訳『軍人と国家』下巻144頁)。

アメリカ連邦議会では、1945年から三軍を統合して単一の省を設置するという大統領の提案をめぐって議論が積み重ねられましたが、当時の海軍と海兵隊は統合に反対の立場で軍部における陸軍の優越を強める結果になると主張し、議員の支持を獲得してきたことがありました(同上、147-8頁)。結果的にアメリカは軍種間で競争が起こる制度を選択しました。

一般的に軍種間の競争は望ましくないというイメージがありますが、政治学の立場で考えれば必ずしもそうとはいえません。組織の内部で同一または類似の職務を遂行する部署を並列的に配置することは、短期的に見れば資源の効率的な配分に反しているように思えます。しかし、このような組織構造は部署間の競争可能性を上層部が利用し、労働生産性の向上に応じた報酬を与えることができるならば、技術革新に誘因を与えることができます。

軍種間の競争の重要性についてはハーヴェイ・サポルスキー(Harvey Sapolsky)が「1950年代に核抑止力の任務を空軍に完全に奪われることに対する海軍の恐怖から、潜水艦発射弾道ミサイル「ポラリス」が誕生し、脆弱で高価な戦略爆撃機を何百機も配備する必要が減じられた」と述べています(Sapolsky 1996: 1)。この開発プログラムの事例はサポルスキーが1972年に出版した『ポラリス・システム開発(The Polaris System Development)』で詳しく分析されており、アメリカ海軍が独自の核抑止力を獲得するため、潜水艦発射弾道ミサイルの開発を推進した経緯が明らかにされています。

冷戦の時代にアメリカの国防政策で最重要の脅威とされたのはソ連の核戦力であり、ヨーロッパに配備される陸軍の部隊も核武装され、アメリカの北部からカナダには戦略爆撃機や弾道ミサイルが配備されました。核抑止の問題では海軍は独自の任務が割り当てられておらず、国防予算の配分で不利な立場に立たされていました。

この状況を打開するため、1955年に海軍が核ミサイルの開発に参入しようとしますが、当時ドワイト・アイゼンハワー大統領は海軍に追加の予算を割り当てることを拒否し、すでに承認されていた陸軍か空軍の弾道ミサイルの開発に参加することしか許しませんでした(Sapolsky 1972: 8)。当事者にとって不本意であったものの、海軍は陸軍の予算で開発が進められていた準中距離弾道ミサイルのジュピターの燃料を液体燃料から固体燃料に変える研究開発に着手しました(Ibid.)。

関係者はこのプログラムで実績を積み上げ、技術的な実現可能性を示しつつ、潜水艦から弾道ミサイルを発射する技術を独自に開発する体制への移行を図りました。1956年12月までに陸軍との共同開発を打ち切り、技術者は独自のプログラムで弾道ミサイルの開発を続けることができるようになりました(Ibid.: 9)。それから間もなくしてソ連が核ミサイルの開発で成果を出していることがアメリカで大きな話題となる事件が起こりました。

1957年10月4日、ソ連が世界初の人工衛星であるスプートニク1号を発射し、アメリカ国民は自国がソ連の核ミサイルで攻撃される危険を強く認識するようになり、政界でも重要な課題として議論されるようなりました(スプートニク・ショック)。確実にソ連の第一撃を生き延び、反撃に使用可能な潜水艦弾道ミサイルの意義が高く評価されるようになったのは、この事件があったためであり、連邦議会では民主党の議員が海軍に追加の予算をつけて開発の努力を後押しするほどでした。このような後押しもあったため、潜水艦発射弾道ミサイル「ポラリス」の開発は進展し、1960年7月20日に初めて潜水艦からの試射に成功しました。

1945年以降の制度変更で軍種統合が進められ、陸軍や空軍に対して海軍の影響力が制限されていれば、海軍が1950年代に核ミサイルの技術開発に参入することは政治的により難しくなっていたでしょう。軍種間の競争が自動的に技術革新に寄与していたわけではありません。サポルスキーは、「ポラリスの経験からもわかるように、プログラムの成功と官僚的成功の間には矛盾があり、その矛盾はプログラムが完成に近づくにつれて増大する」とも述べています(Ibid.: 253)。ポラリスの開発では、プロジェクト評価・見直しの技術(Project Evaluation and Review Technique, PERT)という管理手法が導入されており、短期間で技術的に複雑な開発を完成させるために多くの努力があったことも指摘されています。

参考文献

Huntington, Samuel P. 1957. The Soldier and the State: The Theory and Politics of Civil-Military Relations, Cambridge: Harvard University Press.(邦訳『軍人と国家』上下巻、市川良一訳、原書房、2008年)
Sapolsky, H. (1972). The Polaris System Development: Bureaucratic and Programmatic Success in Government. Harvard University Press.
Sapolsky, H. (1996). The Interservice Competition Solution, Breakthroughs, 5(1): 1-3.

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