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【短編小説】 代弁(だいべん)

0時06分発 南越谷行き 

鉄道ファンでもない私がこの電車の時刻を覚えているのは、逃したら取り返しのつかない最終電車だからである。

毎日呑んでいる訳ではない。むしろ、呑んでいる時の方が早く帰れる。

ブラック企業に勤めるというのはそういうことだ。

もう辞めたいと何度思ったことか。だか、転職をする体力は残されていない。

人生乗り換えるチャンスはいくらでもあったのだろうとは思う。女として産まれたから、結婚するのもアリだったのかもしれない。でも今の生活を変える勇気はないし、惰性で生きていくのに精一杯だ。

毎日部長から理不尽な指示を受けて、オフィスで最後の1人になるまで残業し、気がつくと西国分寺駅で最終電車を待っている。

これが今の私だ。

西国分寺駅は中央線と武蔵野線の乗り換え駅。私の職場は中央線沿いにあり、家は武蔵野線沿いにある。だからほぼ毎日この駅を利用する。

家は家賃が安いところが良いだろうと、都心から少し離れたところに借りた。

今思えば失敗だったと思う。もう少し、会社が家に近ければこんな遅い時間に西国分寺駅で電車を待たずに済んだのに。

いやいや、何を言ってるんだ。そもそもこんな会社に入らなければ良かっただけの話だ。

「何が『社長の代弁』だよ」

思わず呟いてしまった。

この言葉はあのクソ部長の口癖だ。

何かにつけて、『僕は社長を代弁して言ってるんだよ』と言う。果たして本当にそうなのか、今となってはもうどうでもいいことだと思いたい。

がどうしても今日の出来事がフラッシュバックする。

ーーー

「いいかい、君の言っている事は失礼だ!」

私はとあるプロジェクトについて、方針の転換を部長に提案した。だが、返ってきた返事はご覧の通り。

丹精込めて昨日夜遅くまで作った資料は、部長にとっては、ただの紙屑だった。だけど今日は引き下がれなかった。それは私なりの正義感だったと思う。

「ですが部長、このままではこのプロジェクトは利益が出ません!」

「その根拠はなんだとさっきから言っている!」

「ですから、先ほどからデータをお見せしているじゃないですか!確かに40代から60代の購買率は伸びています。ですが20代から30代の女性の率が下がっています!トレンドに敏感なこの層が離れているんです!方向性を変えないと、」

「それは十分な根拠なのか!?」

「え、データですよ!?これが事実じゃないんですか!?」

「そう言うことを言ってるんじゃない。これが社長肝入りのプロジェクトの方向性を変えるに値する根拠なのかと言ってるんだ!」

「このままだと確実に、この先の売上が下がりますよ!いいんですか?」

「はぁ?売上が下がる?現に今は上がっているじゃないか?データやなんやら細かいこと言って、プロジェクトをグチャグチャにするつもりか!」

「いや、ですからグチャグチャにするつもりは、そ、それに今は利益が出ていたとしても将来的には」

「このままでいいんだよ!いいか、今から社長の言葉を代弁して言うよ。『このプロジェクトは何があっても変えずに続けるべきだ!』いいかい。分かったか!」

代弁

この言葉がでたらもうおしまいだ。

最初に聞いたとき、部長は社長のイタコか何かかと思った。でもこの推察が強ち間違いではないみたいだ。

部長のアイデンティティは社長に認められる事によって形成されている。社長の指示を忠実に守り抜くことが部長にとって何よりも大事だ。

だから、社長の指示はそのまま部長の指示にもなると言う論理だ。

組織としては当たり前かもしれないが、部長は盲目的過ぎる。社長が言ったことをそのまま指示するなら、別に誰だっていいだろうに。まぁ、口が裂けても言えないが。

「いいか、こんなんじゃ役員会で出せないから明日の午前中までに作り直せ!分かったな!」

結局、クソ部長から『代弁』が繰り出されてしまったので、私の残業が確定した。

ーーーー

はぁ。もう忘れようとしたのに、思い出してしまった。何もかも嫌になる。

「クソが!!!!!!!!」

急にホームから怒号が聞こえた。一瞬私が言ったのかと錯覚したが、どうもそうでもないみたいだ。

ふと目をやると、酔った女性がホームの壁にもたれかかっていた。

彼女はかなり酩酊していた。けど、全身黒コーデの服でとてもスレンダーなその姿は、不思議とカッコよく見えた。

「んだよ!クソが!話通じねぇじゃねえか!ここどこなんだよ!!!!」

焦点が合わずひたすらに空に向かって叫んでいる。

辺りを見渡すと普段ならもう2、3人はいるはずなのに、ホームにいるのは私と彼女だけだ。

駅員さんを呼ばなきゃ、でも彼女の容体は大丈夫なのか。瞬時に色んなことが頭によぎる。

「なんで、私だけ、こんなんなんだよ!あ゛ーーーーっなんなんだよぉ!!!」

そんなこと、お構いなしに彼女は叫び続ける。

本当は声をかけなきゃいけないのに、助けなきゃいけないのに。

私は叫び続ける彼女を見ていた。

まるで彼女が、私の代弁者のように見えてきた。

彼女が私の代わりに叫んでくれている。

そんなふうに思えて、すこし心が軽くなった気がした。

こんな感覚今まで味わった事ない。

心の辛さはみんな何処かに抱えているもんなんだ。ただ、上手く吐き出せていないだけ。

今まで代弁に最悪な印象しかなかったが、ひたすら汚く叫ぶ彼女のそれは、むしろ誇らしかった。

「代弁してくれて、ありがとう」

酔っ払いにかける言葉としては0点だろう。

けど、私はそう言わずには居られなかった。
彼女の前で私は深々とお辞儀した。

すると、彼女は私に気がついたのか、こちらを見てこう言った。


「あ?だいべん?うんこの話?」


あっけに取られた。

そうだ。別に彼女は私の為に叫んでいたわけじゃない。

ただ、酔っ払い、ただ叫んでいた。それだけのこと。

急にバカバカしくなった。そして、気がついたら笑ってこう叫んでいた。

「クソだーーーー!!!!」

誰かの代わりなんていない。

私の気持ちは、私がちゃんと、言わないと。

時刻は0時06分

もうすぐ西国分寺駅に南越谷行きの最終電車がやってくる。

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