僕が諦めていること

生きる上で諦めていることが3つあります

①不老不死

②世界平和

③夢

です。これを見て、うわぁ、冷めてんなぁとか思ったりする人もいるかもしれませんが、一応私なりに理由があるのでそれを今から記していきます。

①不老不死を諦める

これに関しては、読んで字のごとく。ずっと生きていくことは不可能だということ。

言い換えれば死を受け入れるということです。

でも、これは当たり前のようで実はあまり実感出来ていないことです。どこか自分が明日も生きているのは当たり前の事実だと錯覚しています。なので、諦めると言っても実は心のどこかでは諦めきれていないのかもしれません。

それを証拠に色んな理由をつけて自分がやってみたいこと先延ばしにしてます笑
人生にはいつか終わる誰にも知らされてない締切があるのに、焦らずのんびりのほほんと過ごしているのです。

これはちょっと反省ですね。。諦めてると言いながら、実際諦めきれてないのですから。

②世界平和を諦める

先に断っておきますが、戦争や差別を賛成している訳ではありません。むしろ反対です。

じゃあ世界平和を諦めるとはなんぞやという話ですが、これは「皆が分かり合い、納得して手を取り合い何不自由なく幸せに暮らせる世界」を諦めるということです。

自分のことを分かってくれるだろうとか、みんなに好きでいてもらおうとか僕はしょっちゅう思っていたりするのですが、

結局ね、そんなん、無理です。

目の前にいる人の気持ち分かります?

僕は分かりません。

これが全てです。事実です。

一見、人と人とが分かり合うのはすごくいい事のように見えますが、それは分かり合う振りをしているだけで実際のところどうなのかは分かりません。

でも、頑張れば分かり合える!理解してもらえる!なんてついつい思っちゃうんですよね。だから無理をしちゃう。

そうなると精神を病むんですよ笑

世界平和っていうと、こういった話から飛躍しているように見えるかも知れませんが、結局世界平和だって「全ての人と人との繋がりが良好になること」だと考えるならば、それはもう諦めるしかないなということです。

でも、「じゃあ、戦争だ!」とか「差別賛成!」とかなってしまうとそれはそれでみんなが不幸になる。

僕が言いたいのはそうじゃなくて、「分かり合えないということを前提とした人間関係を築こうよ。」っていうこと。

でも、それをするには結局ある程度自立が出来る精神状態が必要なのも、また事実。

そもそも、なんで人に嫌われたくないかというと、自分に自信がないから。自分はこうだ!という意思があれば相手がどう思おうが気にはならないですが、自分の評価軸を他人に委ねてしまうと、嫌われたりなんかしたら自分を失うことになってしまいますからね。

でも、僕は今まで自分の評価軸は他人に委ねてましたね。それはやっぱり自分のことを分かってくれるはずだという期待がどこかにあったのでしょう。でもそんな期待、持つだけ無駄です。

③夢を諦める

おい!そんな事言うなよ!とついつい感情的になってしまうフレーズですが、これは僕なりの持論があります。

そもそも夢を持つというのは、「なりたい理想にの自分を思い描くこと」だとここでは定義します。

そうなると、夢を持った時点から逆算して色々行動をしていく訳ですが、どうしても叶わない時が出てきます。

その時人は挫折するのですが、夢への依存度が高すぎると起き上がれなくなってしまいます。

そうなってしまうと本当に人生を棒に振ってしまいます。

そうならないためにも、僕は理想の自分は持たないで生きていきます。

え、じゃあ人生つまんなくない?

そうじゃないんです。ここからが大事なんです。

僕は別にやりたいことをやるなとは言ってません。目標を持つなとは言ってません。

夢≠目標

です。

ちょっとややこしくなりますが、僕の中での目標の定義は「やりたいことを積み重ねた上で、さらに頑張った先に見えてくること」です。(まぁ、自己都合的な解釈ですがここではお許しを。)

なりたい自分を追い求めるのが、夢と言うならば、やりたいことを実践し、その先に見えてくる景色が目標だ

とでも言いましょうか。

あと、目標はその都度修正が可能ですが、夢はなかなか修正するのが難しいと思います。

先に コレになりたい!なんて決めて期待をしてしまったら、どう頑張ってもなれない場合でもそれに固執して自分を見失ってしまいます。

そうなったらおしまいです。

だから、夢は持たない。

けれども、やりたいことは大事にして、それを積み重ねて目標を達成する。(時には都合よく目標を変える)

そうすれば少しは生きやすくなるのかなと思います。

④でも、、、

①~③で説明した持論ですが、実はもう1つら持論がありまして、それは①~③のことを諦めたくなくて、抗う時に人間らしさが生まれるということです。

死にたくない!

みんな分かり合おうよ!

夢!叶えたい!

ね。必死感伝わってくるでしょ。頑張ってる感というか。僕はどうしてもこういうのに人間らしさを感じてしまいます。

その根源にあるのは「抵抗」だと思います。

おそらくこんなこと言っている人達は抵抗なんて感じていないでしょうが、深いところでは、抗えない事実に対して「抵抗」していると思います。

また別の言い方をすれば「期待」しているとも言えるでしょう。

人が何かに期待したり、抵抗したりする時、ものすごくエネルギーを使います。このエネルギーこそが人間らしくなる要因なのかも知れません。

でも、そのエネルギーを使うっていうのはしんどいですよね。疲れちゃう。だから僕は①~③の持論を持つようになったのかもしれません。でもどこか人間らしさが欠けてしまう気もします。


生きやすさを求めると人間らしさを失い、人間らしさを求めると、生きづらくなる。



この生きることへの矛盾は自分の人生のテーマでもあります。

最後に

こんなことをつらつらと書いてましたが、結局は理想の自分と現実の自分はまだまだかけ離れてて、色々分かっちゃいるけど辞められない、諦められない事が沢山あります。それはもはや人間の業だと思います。

でも、それでもいいんじゃないでしょうか。

業を認めた時に初めて人としての懐の深さを得られるような気がします。

自分はまだまだですが笑

ほなまた。


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