ごきげんよぉ。「初めまして。」還暦ちょっと手前の人間です。恥ずかしながら昨日初めてこのNoteの存在を知りました。還暦過ぎた兄から教えてもらって初めて知りました。40年近く洋菓子職人として働いてきましたが、病気で右手足が不自由になり昨年退職しました。今は田舎でのんびりと暮らしています。もう充分というくらい時間があるので、絵を描いてみたり、粘土でなんやかんやと作ってみたり、エッセイを書いてみたり、それらをコンテストや大会に応募してみたり、お菓子を作ってみたり、料理をしてみたり
私がまだ若い頃、祖父や祖母がキャンディズの3人を見て、誰がどれがあれがこれか?というような感じで区別できないという意味がわからなかった。 それから数十年がたち、父や母がモーニング娘。の誰がどれで、あれがこれか?という意味がなんとなく理解できる! あれから数十年がたち、今は自分が、若い芸能人の名前と顔、ミュージシャンたちのバンド名やメンバー個々の名前や顔が覚えられない。 アキモッちゃんの48 47 46シリーズなど誰が誰でこれがあれがどれでそれで、もうちんぷんかんぷ
私は虫が大嫌いだが、慣れようとがんばってきたが、大嫌いの大がとれて嫌いというレベルに過ぎない。がんばってはみたものの考えてみれば、嫌いなものを無理に克服しても真の勝利とは言えない。 時間が解決してくれると豪語していたが、ここ田舎に住み始めて初めての初夏という季節をむかえる。 ぼちぼち虫が、見たことの無いような虫が、我が家の納屋や畑や、そして母屋まで総攻撃をかけてくるに違いない! ゲジゲジを初めて見たときは地底怪獣にしか見えなかったし、巨大化したムカデは宇宙怪獣にしか
私は仕事をやめて、自宅にいることが多い。その気になれば 運動する場所も時間も充分にある。しかし、私の場合多少時間におわれてるほうが運動もちょこちょこやっていた。 私は自分で思っている以上に、太っている。二十歳まではカリコリ君だった。昔は食べても太らず、「もう少し太りますように!」と神頼みしたこともあった。願いが通じたのか、どんどん太っていき、ここで止めてくれ!という停止線を無視して現在に至る。 健康維持の為には痩せないと、今度は「丁度いいとこまで痩せますように!」と
アルバイト禁止!高校時代は、そんな校則があることは珍しくないが、みんな結構バレないようにアルバイトをしていた。 私も、3年間、繁忙期だけ近くの和菓子屋さんでバイトをしていた。 しかし、初めてのバイトは中学2年の夏休み、1日だけ友人の誘いで友人の親戚のプレハブ冷凍庫のイカの塩辛のビン詰めのふたに貼ってある要冷蔵シールをはがす作業で、時間いくらではなく、確か何十ケースもあるそれらを終らせたら2人で1000円、つまり1人が500円! 私は内容も知らないままついて行ったので
短い話! 幼少期の私は、とにかく、落ち着きがなかったのか、家族や親戚と遊びに行くと必ずは言い過ぎだが、かなりの確率で迷子になってしまう。 動物園に行っても、遊園地に行っても、デパートに行っても@@@ 気がついたら、よその家族について行ったり、母だと思ってスカートの端を握っていたら全く知らないおばさんだったりと、 その度に館内、園内放送で、「3さいくらいの坊やをあずかっています。」 「4さいくらいの坊やをあずかっています。」 「5さいくらいの坊やをあずかってい
私は約40年間、洋菓子職人をしていたが、その原点ともいうべき大阪のとある専門学校が、今思えば、他校に比べてきびしく、就職したのちの忍耐 と体力をつけてもらったスパルタだったという話! 私の通っていた調理師専門学校は大阪にあり、家から片道1時間半で、電車は2回乗りかえる。通勤サラリーマンと時間が重なるため、毎日学校に到着時はへとへとになっていた。1年制の学校だが、生徒は本校と分校合わせて 1000人近くいたと思う。14組もあるクラスをローテーションで調理師免許を取得するた
1980年代後半から1990年代前半にかけて、世はバブル時代とよばれていたが、若い私には、給料にも反映されてなく、別にバブル経済でどうだったかなど意識したこともなく、あい変わらずの御奉仕残業の毎日だった。 しかし、会社は潤っていたのか慰安旅行はなんとハワイという情報が流れてきた! バブルとはこういう事か! ハワイだけに限った事ではないが、海外旅行に限った事ではないが、 旅行はツアーでないこの度の慰安旅行のような、ほぼ自由行動の場合、事前の旅行先の知識とできる限りの
病院は勤め先の近所だったので、先に職場によって事情を話し、仕事の引き継ぎをしてから、来院した。 朝一8時半に行ったのに、いろいろな検査を受け、まずは内科へ、ドクターの説明によれば、内科治療レベルではないらしい!手術になるようだ。この時点で15時! 続きまして、外科へ、なかなか呼ばれない!もう患者さんは いないはずなのに、もう17時になろうとしているのに、呼ばれない! 17時を過ぎたころやっと呼ばれた。 若いドクターは「すぐにでも胆のう摘出手術をしましょう❗」開
5~6年前、一日講習会に参加したときに、お腹に激痛がはしった! 途中で退席しようと思うくらいの痛さだったが、あと、1時間程度だったので我慢することにしたが、こういう時の1時間は、やたら長く感じる。おまけに質問コーナーが長いのなんの!終了予定時間を30分もオーバー! 高いお金を払って受けているので当たり前の事だが、そんな事を考える余裕もないくらいの痛さで、とにかく早く帰ろうと、その後の親睦会はブッチした! 家までは割と近距離で、タクシーで帰ろうとお腹を押さえながら探
田舎暮らしを始めてしばらくたった頃ご近所からテングサをいただいた。 私はこう見えても元菓子職人、テングサをもどしてから煮出しの作業に入る。 私はこう見えても元菓子職人、パウンドケーキの隠しアイテム用に、白あんは冷凍庫に常備している。 私はこう見えても元菓子職人、煮出した寒天液にあんこと砂糖とお酒と抹茶をあわせて、炊き込みに入る。 私はこう見えても元菓子職人、ちょうど良い感じに炊き上げ、ちょうど良い感じにあら熱をとり、100均のカップに、ちょうど良い感じに流しこむ。
私は、小学生時代の4年生からサッカー部に入っていた。練習は土曜日の放課後と水曜日あたりにあったような感じで、他の日は各自で練習していたような気がする。あまり熱心ではなかったので、よく覚えていない。 私は上手くなかったし、友人に誘われて入っただけで、本心は早く帰って吉本新喜劇を見たかったし、駄菓子屋にも行きたかった。ただ唯一の左利きというだけで、試合に出してもらっていたが、私はベンチで観戦する方がよかったという変な子供だった。 夏休みに入ると、隣街のサッカーグランドで練習
永年、菓子職人として働いてきた私の修行開始半年目くらいからの話! 私は別の記事でも述べているが、新人の頃は怒鳴られたり、蹴られたり、周りが目をそむけたくなるような感じだった。私は平気だったが! しかし、半年くらいたった頃、状況が変わってきた。だんだんと上司、先輩達の怒鳴りや、暴力的な行動が、一斎なくなった。何とも、きしょく悪い感じだったがある意味認めてくれ始めたのか?といいふうにとらえる事にした。 それと同じくして、ある仕事を任されることになった。バウムクーヘンの担当
約1年前に仕事を辞め、生まれ育った街から離れて初めての田舎暮らしを始めたのが、10か月前、家内の実家が空き家になっていて、家内も最後は田舎に帰りたいの言葉と私の病気療養が移住を決断したきっかけだった。 この慣れない生活を始めたころ、私にとっては恐怖そのものであった。 私は虫が苦手で、蛍でさえ、蝶々でさえ、てんとう虫でさえ、大嫌いである。特にここ田舎では見たことない種族や、見たことない巨大に化けたもの それら昆虫どもには、慣れてきたとは言い切れないが、最大値の恐怖度は1
何事も「引き際が肝心」とは、まさにその通りだと思う事が多い。タイミングを間違えると、せっかくの成功や勝利が真逆の結果で終わってしまうということを何度も何度も経験してるのに、いざ、その時になってみれば、頭が強欲に支配されて、痛い目にあう。それは、仕事でも遊びでも同じ事、世の成功者とよばれる方々は、もちろん、その成功のために努力を続けてきた成果だと思うが、ある一つの課題には、必ず下降期が来る。そこからいつ、退くのか、どのタイミングなのかを正しく判断できるのだろう。そしてまた、新
高校3年の最後のテストが終ると卒業式迄、わりと長い日数、学校に行かなくてもいい幸せな休暇に入るはずだった。 最後の定期テスト(私にとっては「33」ラストゲーム!・・・投稿を始めた頃に書いた記事「33」サーティスリーを是非読んでください。)のチャイムがなると、私は何とも言えない解放感に酔っていた。 クラスメートの1人が「打ち上げしょうや!」と言った一言に5人が賛同し 男6人でその夜に、飲みに行く約束をした。 街の中心地に行く為に駅で待ち合わせをした。リーズナブルな居酒