見出し画像

アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run77…⭐あのHDDはどうせ酸っぱいから、開けなくても大丈夫なんだ⭐️

(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)

【記事累積:2025本目、連続投稿:958日目】
<探究対象…コラム、HDD、過去志向型、合理化、フロイト>

外付けのハードディスク(HDD)の不具合で、PCに繋いでも認識されなくなってしまいました。その不調には半年前くらいから気づいていたのに、プラグを指し直すと認識することもあったので、楽観的に捉えてそのままにしていたのです。

そして先週くらいには、電気が通ったランプはつくものの、認識することはなくなりました。データ復旧の業者に問い合わせてみると、接続の部分が壊れてしまったかもしれないとのこと。まずは無料診断で郵送か持ち込みしてくれれば状態の確認ができるということですが、一時的とはいえHDDを他者に渡すことには抵抗があり、結局持ち込みする予約をキャンセルしました。

奇跡的というべきか、虫の知らせというべきか。全く認識することがなくなる数日前に、一部のデータは新しい外付けHDDに移していました。移していたのは、バンコク時代に作った授業プリントやスライド関連のデータ、ラオス時代に連載していた探究サイトの記事やスライド関連のデータ、現在の勤務校の授業関連のデータなどです。

現在の勤務校は貸与PCで、もともとそちらで業務を進めていたため、今のところ授業についても業務についても、あのHDDに入っているデータがないことで直接的に困ることがありません。

去年と一昨年、色々作ったバンコク時代の授業関連は移せているので、これから何か作業するときも対応できます。またラオス第2期の授業データは新しいものに移していなかったのですが、毎回の授業プリントと板書画像はグーグルクラスルームで各ご家庭に配信していたので、PDFではあるものの授業プリントなどの内容を全て確認することができるという幸運な状態でした。

このHDDがメインで稼働したのは2022年5月下旬で、それ以前の様々なデータは先代のHDDに残っています。ただ先代についても今後もちゃんと稼働するか心配なので、新しく購入したHDDにバックアップすることにしました。

以上をまとめると、あのHDDにしか入っていなくて確認することができなくなっているデータの主たるものは、2022年5月下旬以降にSNSのコラムでアップしたときの原稿ワードデータ、その際にアップに使わなかった写真データということになります。原稿ワードデータはSNSに本文自体はアップされているので、それをコピーすれば復元が可能です。

最も痛手であるのは、SNSに取り上げず、スマホ内の容量オーバーを避けるためにHDDに移しておいた写真や動画データです。タイ時代の5月下旬からラオス第2期の膨大な写真や動画が入っているのです。そこには2022年から2023年の間に訪れたシンガポールのものも含まれています。スマホには一部は消さずに残してあり、それらを使ってこの時期のコラムは書けそうなので、全くの空白という最悪の状態は回避できています。

まあ膨大だったがゆえに、新しいHDDに移すのに時間がかかるなあと思って、まとまった時間があるときに移そうと、問題を先送りしたツケが回ってしまいました。もちろんそれらの写真や動画は非常に貴重なのですが、これまでのSNSでコラムとして論点化していないことを考えると、その意味や価値を十分に見い出せていない状態のものだったと言えます。それらは今後見直すことで、論点化できコラムにする可能性はあるのですが、記憶として風化しているものも多く、現時点ではその多くが懐かしい写真・動画の無秩序な塊なのです。

もしあのHDDが健在だったとしたら、その塊を振り返りコラムにできるわけですが、膨大なデータの中をウロウロするのにけっこうな時間がかかります。ここ数カ月くらいの写真や動画は別として、もっと前のものでコラムが欠けないだろうかと何となく見直している場合には、ああこんなこともあったなあという感じで、ピンポイントでこの時期の写真や動画をコラムにしようという流れにはなっていませんでした。

ただこういった写真や動画は、もはや現在と連続性を持っている素材ではなく、既に遠い過去のものになってしまっていると思います。そう考えると、「一人で勝手に旅気分」シリーズで扱う素材としての意味・価値はありますが、日々の気づきや学びではなくなっています。それらの写真や動画を見ようと思っても見られないのは寂しいことですが、それは過去志向型としての心情であって、現在や未来に向かって新たな気づきや学びをコラムにしようとする自分の可能性をどこかで縛ってしまっていたように感じます。

今回のHDD問題は、最近の素材でのコラムをしっかり書いていかねばいけないぞという神様からの叱責だったのかもしれません。

「どうせあのブドウは酸っぱくてまずいんだ」
これはイソップ童話において、ブドウを食べたかったキツネが、手の届かないところにあるため、食べたくても手に入らないので抱いてしまったネガティブな感情を、ブドウはまずいと考えることで正当化した場面と考えられています。この場面は、フロイトの防衛機制だと「合理化」の例として紹介されることが多いと思います。

さきほど私がHDD問題に対して展開した話も、この合理化の一種である気がしています。あのHDDの中に入っている写真や動画にアクセスできないことは、紛れもなくショックです。現在の業務には支障がないとか、過去志向型ではいけないとか、それっぽい理屈を並べて、ショックから自分の心を守っていないとは言い切れないのが正直なところです。

とりあえずHDDはしばらくそのままにしておいて、現在の業務に専念しようと思います。そして少し生活が落ち着いたらデータ復旧の業者にお願いするかどうか、改めて考えようと思います。

#探究学習がすき   #探究学習
#哲学   #フロイト

この記事が参加している募集

探究学習がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?