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底の街

 生まれてから間もない頃、おぼつかない足取りで手をついた場所に座り込んでみたら、そこから見る景色が自分にとっての「常識」になってしまった。
 間違いようもなく、その場所が地の底だったことを知ったのは日頃から家庭内で家族に対し暴力を行う父を恨む母親の言葉だった。

「まったく、ブラックカイホ―ドウメイの癖に」

 まだ幼かった私は、その言葉が一体どんな意味を指しているのか不明だった。
 ただ何となく、「ブラックカイホ―ドウメイ」と聞こえた言葉の響きから正義のヒーローの邪魔をするブラック団みたいなものが頭に浮かび、滅多に家に帰って来ない父の仕事はヒーローの邪魔をするものだとばかり思っていた。

 その言葉に薄気味悪さも感じつつ、それが忌避めいたものを含んでいるものだと知ったのは小学校に入ってからだった。
 門の入口右手に、縦長の木製看板、というより柱状のものがあり、そこにはこんな文言が書かれていた。

『部落解放運動を応援しよう』

 小学校に入りたての私にはその漢字が読めず、読めるようになってからも誰もその看板について教師ですら何も言わなかったので特に気にすることもなかった。
 部落、というものが何となく差別的なものを含んでいるのだろうと知ったのはもっと後のことだが、当の父本人すらそのことは話すこともなかったのでぼんやりと知らないまま時が過ぎ、親の離婚によって父は連絡不能の赤の他人になった。

 大人になってからそういった運動があることは理解したものの、街の人間で率先してそのことを話そうとするものはいなかった。
 誰もが分かってはいたのだろうが、その手の話しが上がる寸前になると口をつぐんだ。
 その禁忌めいた空気は純粋無垢な子供の前でセックスの仕組みを包み隠さずに話すようなものにも思えるし、見方を変えれば共謀犯同士の間柄にも思えた。

 父の実家のあった土地は町の中でも離れた場所に存在し、戦後に肉をニンニクや香辛料の入った味噌漬けにして食す文化の発祥地だとも言われている。
 ここまで話せば勘の良い人間にはどんな土地なのか容易に想像がつくだろう。
 私の父の実家の在った土地というのも、例外に漏れず寂しげなまま時に忘れら去られたような土地だった。
 基本は平地なのだが店らしい店はなく、赤土の土埃が年中舞い続ける乾き切った土地だった。
 枯れた畑が延々と続き、時折何故こんな場所に? と思うような場所に公衆便所よりひと回りほど大きな赤提灯のブラ下がる建物が現れる。
 その外観は東京の下町などにあるような、若者が「入りにくいなぁ」と思うような地元店とは比べ物にならないほどの入りにくさである。

 木枠のガラスは埃に塗れ、店は大抵がトタン造りだった。暖簾はボロボロで、建物の大きさにはそぐわないほど大きな換気扇は黒い油汚れがこびりついていて、換気の為というよりは処刑具を連想させた。

 夕方になれば換気扇が用をなさず、建物の隙間という隙間から焼き鳥の煙が立ち昇る。
 出入りする客達は大きく引き戸を開けないので、ほんのわずかに中が覘ける程度ではあるが、その中に居る全員がおおよそ筋者だと分かる風貌をしている。
 見慣れた景色に存在しているはずなのに、近所の大人達ですらその手の店には入らず、また、間違っても入ろうなどともしていなかった。 
 店の脇には砂利の駐車場が在り、客達は当然のように車で来ていた。
 ベンツ、BMWが大半で、その並びにクラウンが止まっていると不思議と格下のようにも思えた。

 子供心にそんな景色が異様にも思えていたが、ブラックカイホードウメイと呼ばれている人達の住処にはそんな光景がいつも広がっていた。
 名前すら憶えていないし、どんな顔だったのかすら分からないが交流のあった少年がいた。
 母の知り合いの子だったようだが、その子の家もまたその土地にあった。
 平屋建ての屋内は昼間から夕方に掛けて一切陽が入らず、常に暗かった。
 チャンネル操作がダイヤル式のブラウン管テレビが発する光にやたら目が痛くな部屋は、いつも腐った小便の匂いが立ち込めていた。
 どこから発しているのだろうと思ったら、少年が勝手口を開けて外に小便を放っていた。しかし、彼の母親はそれを見てすらいなかったし、思い出の中でその家で便所というのを使った記憶がなかった。

 家の中が暗い分、小便をする為に開け放たれた勝手口に見えた射光が強烈場コントラストとなって、不吉な陰影を生み出していた。まるで世界の表と裏の線を引いているような、そんな明確な印象だった。

 ちなみに私の父は二人いるので紛らわしいが、今回出て来たのは私がまだ精子だった頃の、その住み家である金玉の持ち主のことである。
 暴力性が高く、頭に血が昇ると平気で人を殴ったり蹴り飛ばしたりする人間だった。
 その血と言うのが私の中にも流れているのかもしれない、と感じる瞬間は多々ある。
 人が思わず微笑んでしまうようなエピソードは万年固糞のように幾ら捻ってみても少しも顔を見せないのだが、人をボコボコにブン殴ったり貶めたりする話は快便絶好調であり、ほぼ無意識でも書ける気がしてくるのだ。
 noteは物書きだけが読む訳ではないので、これでもかなり暴力に関しては表現を控えているつもりではある。

 血の中に流れるものが、もしも記憶さえも引き継いでいるのだとしたのなら、いっぺんに入れ替えてみたい衝動にも駆られる。
 しかし、この身の血が綺麗になったとて、流れるものは変わり様もない気がしている。
 あの街の光景や匂いは、一生脳裏に焼き付いているだろうし、それは解きようのない呪いのようにさえ感じている。
 そんな呪詛の匂いや光景はいつも静かで、どこか温かみすら感じてしまうほどではある。しかし、陽だまりの傍らに死体が転がっているような違和感に塗れている。

 あの少年は学区が違っていたのでその後関わるようなことは一切なく、けらけらと乾いた笑い声を立てながら小便を放っていた光景だけが蘇る。寧ろ、その光景しか憶えてはいないのだが、あの少年は果たして本当に実在したのだろうか。
 記憶が作り出した妙な妄想のようにも思えるし、あの乾いた土地はその赤土だけを残して、古い家は取り壊されて新興住宅地となり、すっかり変わり果ててしまった。
 永遠に頭に残り続ける光景は暗く恐怖めいたものよりずっと明るく、そしていつも狂気を孕んでいるから不思議だ。
 そんなものを見続けた目で、今日も世界を見続けている。

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