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【小説】 父と私の土曜日 【ショートショート】 

 三ヵ月ぶりに危急の用件で実家に帰ることになった。キッカケはマネージャーを通して伝えられた番組側の「些細な」要望から。

「未来ちゃん。そんな訳だから小さい頃のお写真、五枚くらい用意してもらえない?」
「オッケー、土曜に実家に帰って取って来ます」
「うん、大事なシゴトだから。よろしくね」

 バラエティ番組の「小さい頃にハマっていたもの」というコーナーアンケートと一緒に、幼少期の写真を提出することになった。どうせ画面に映るならカワイイ私がいいな~、けど、そんな写真あったっけなぁとか考えながら、平和な土曜の昼に実家へ帰った。

「ただいま~」

 薄暗い玄関で声を掛けてみたけれど、家の中からは誰の返事もない。お母さんは出掛けてるって言ってたけど、真実はいないのかな。

 靴を脱いで居間へ行くと、案の定肌着にステテコ姿のお父さんが寝転がってテレビを眺めていた。金属会社に勤めているけれど係長止まりで、派閥に馴染めないからこれから先も定年まで昇進はないとお父さんはとっくに諦めていると言っていた。瘦せ型なのにおなかだけボンと出ているし、身体もなんだか色々と諦め切っているのを体現しているようにも思えた。 

「おう、未来。来たんか」
「写真取りに来ただけだから、すぐ帰るけど。ねぇ、真実は?」

 真実は私の妹で、アイドル崩れのタレント業の私とは違い、実家で暮らしながら今年の春に地元有力企業に就職した。実に賢明でしっかりとしている女子で、同じ血が繋がっているとは思えないけれど間違いなく私の妹なのだ。
 お父さんがテレビを観ながら、尻をぼりぼり掻きながら答える。

「真実ぃ? あぁ、あれに行ったよ」
「あれって、何処?」
「あれだよ。坊主のサインもらいに行ってるよ」
「坊主のサイン? 何ソレ」
「おまえ、ゲーノーなのに知らないのかよ。若い女の間で流行ってんだろ?」
「サイン求められるようなアイドル坊主とか、いないでしょ」
「えぇ? だってよぉ、テレビでもやってたぞ」
「あぁ……もしかして、御朱印帳?」
「そうそう、それだ! しゅいんだよ、しゅいん」
「しゅいんって……変な言い方しないでよ」

「御朱印帳」もパッと出て来ないくらい、お父さんの脳は衰えてしまったのか。しばらく見ないうちに白髪もだいぶ増えて来たし、やっぱり親って老けて行くんだなぁ。

 私とお父さんの会話はそれっきりで、かわいいかもしれない幼い私の写真を数枚選んで抜き取った後も、特に会話らしい会話は何も生まれない。でも、ちっとも気まずくないから不思議だ。
 寝転がっていたお父さんだったけれど、番組が変わると身を起して「お、始まった」と呟いた。
 始まったのはローカル局で放映されている、ライオンズ対ロッテのデイゲームだった。

「昔っから好きだよねぇ」
「昔じゃねぇよ。野球好きってのはな、生まれつきなんだ。今な、西武が三連勝中なんだ」
「だから機嫌良いんだ?」
「おう。まぁな」

 試合が始まってから私もなんとなく一緒に眺めていたけれど、私は野球は別に好きでも嫌いでもなかった。なんとなくやっている事は分かるし、観ていて退屈はしなかったけれど、ある選手がアップで映った瞬間に思わず声を出してしまった。

「あっ!」
「どうした?」
「この選手、この前合コンした」
「おいおいおい! 本当か!?」
「本当」

 本当だ。それもある種、最悪だった。酔っぱらった彼は私の肩に腕を回し、離れようとするたびに逃がさんとばかりに力を強めた。
 セクハラが嫌だったっていうより、話しの内容と彼の様子が最悪だった。

 まず少年野球でのエース時代の話しから始まり、両親の応援を受けて中学でプロを志し、高校二年の冬にお母さまが亡くなって……という所で彼はグスグス泣き出してしまったのだが、泣きながらも彼の口から語られるロード・オブ・プロリーグの歴史が止むことはなかった。
 話しの最中、私は彼の泣き声混じりの「おふくろ」という単語を最低五十回は耳にした。
 プロ入りした頃にはもうお母さまは居ないはずなのに、その辺りから加速度的に「おふくろ」の回数は増えて行った。
 合コン後、私の仲間内で彼は密かに「おふくろさん」と呼ばれるようになっていた。

 一応お父さんにもその合コンエピソードを話してみたけれど、笑ってくれるどころか段々涙ぐみ始めてしまったのだから、男の人っていうのは本当、マジ、全然、訳が分からない。

「未来……応援してやれよな、これからもな、頼んだぞ」
「そんなん頼まれても……どの立場で言ってんの? って話しだし、そもそも、次いつ会うかも分からないし」
「会えよ! 会ってな、寄り添ってやれよ!」
「やだよ」
「それでな、いつかウチに連れて来い。な!?」
「私の話し、聞いてた?」
「ゲーノーなんか辞めてな、野球選手の嫁になれ! 将来は安泰だな、よかったよかった」
「……はぁ」

 おふくろさんが二打席目を三振で終えると、お父さんの携帯が鳴った。

「え? それはいつのことですか? はい、はい。あぁ、至急、確認します。ええ、それは間違いないです」

 お父さんは話しながら立て付けの悪くなりつつあるクローゼットをギィーッと開けて、スーツを取り出していた。何かしらのお呼び出しなんだろうか。
 でも、こうやってこの人は毎日会社で頑張りながら、私達姉妹のことをお母さんと二人で守って、支え合って、育ててくれていたんだなぁ。

 そう思うと、見えない相手に向かって一生懸命に頭を下げるお父さんの姿が、ほんの少しだけ誇らしくも思えた。あぁやってこの家を、家族を守って来たんだもん。絶対に、情けない姿なんかじゃないよ。
 スーツに着替えたお父さんは姿見の前でネクタイを締めて、私を振り返った。

「悪いけどな、母さんか真実が帰って来るまでいられるか?」
「うーん。私もそろそろ行こうかな。あ、でも鍵持ってるよ」
「そうか。悪いけど時間ないんだ。じゃあ、またな」
「えっ? 駅まで乗せて行ってくれないの?」
「うん、大至急なんだ。すまん、またな」
「えー! せこーい!」

 お父さんはバタバタと足音を立てながら豪快に玄関を開け、大胆に閉めて出て行った。
 休みの日に忙しいのも、そろそろ落ち着いてくれたら良いけどなぁ。
 さて、私も帰ろうかな……。そう思ってテレビを消すと、家の中がしんと静まり返った。
 あんまりにも静かだから急に寂しくなったけど、こんなに寂しくて静かな町で私は育ったんだった。それでも家族が帰ってくれば夜はいつも賑やかで、暖かかった。
 今、もしも私が東京を諦めて帰って来たら、またあんな風に暖かな夜がやって来るんだろうか。
 弱気になっている自分に、ちょっとびっくりした。無意識のうちに、きっと東京に少し疲れているのかもしれない。
 なんとなく誰もいない家の中をふらふらしてみた。ちっとも変っていないように見えて、炊飯器が新しくなっていたり、昔うちで飼っていた柴犬のコジロー・オリジナルポスターが無くなっていたり、家族の風景は少しずつだけど、変化していた。

 最後に、お父さんの書斎に入ってみた。書斎とは言っても三畳半の小さな洋間で、ここには天文学や雑学なんかの面白くて楽しい本が沢山あったから、小さな頃は秘密基地みたいで大好きな場所だった。
 ここだけは昔から変わらないなぁと思いながら部屋の大半を埋め尽くす本棚を眺めていると、ある物に気が付いた。
 本の並びの中に、白いDVDケースがあったのだ。その背表紙にはお父さんのヘタクソな字で、「未来出演番組」と書かれていた。

 東京で何とか必死に頑張って慣れない毎日にしがみついて、スタッフさんにも毎度毎度媚びを売って、それでも頂ける仕事もギャラも、タカが知れている。キラキラしているように見えていたけれど、現実の芸能界はみんなが地道に努力をするのが当たり前の世界で、もの凄く地味な面がほとんどで、全然華やかな世界なんかじゃなかった。

 最近やっと出れる番組も増えて来たけれど、お母さんや真実に「観たよ~」って言われることはあっても、お父さんから感想なんか一度ももらったことはなかったから、私の番組を録り溜めていてくれたことは意外だった。
「ゲーノー? あんなん、どうせ水商売だろ」なんていつも言われていたから、勝手に興味ないんだろうなぁって思ってたのに、なんだ。ちゃんと、見てくれていたんだ。

 離れていても私はまだお父さんに見守ってもらえているんだと思うと、自然と東京に帰る勇気が湧いて来た。
 かわいい写真あるかなぁとか思っていたけれど、私は小さな頃からいつだって可愛くてチヤホヤされてたじゃん! だから、自信を持って帰ることにした。

 実家から帰る前にどんな番組を録画していたのか気になって、DVDプレイヤー(久しぶりに操作する)に本棚から拝借したDVDを入れてみた。
 再生が始まってすぐに、番組の冒頭ではなくて何処かの企業ロゴがデカデカと映し出された。 

「ん? これって……映画かな? えー、こんな配給会社知らないんだけど……」

 ロゴが消えると、次に映し出されたのは「18歳未満の方への~」という厳重な注意事項。
 そして、画面が変わると一気にパラリララ~という能天気かつ派手な音楽が鳴り響いて、側面をマジックミラーに加工したトラックが街中を走り回る映像が流れて来た。続いて「信州ロマン編」というピンク色の文字がバーン! と画面いっぱいに映し出された。私は、理解した。
 なるほど。これは、娘の名前を隠れ蓑にしたお父さんの性的娯楽コレクションのようだった。

 私は本棚にあった私の名前が書かれたDVDを全て取り出して、居間のテーブルの上でバキバキに割ってから放置。そして、実家を後にした。
 しばらく帰らなくていいや。と思ったので、私はやっぱり東京でしっかり頑張ることにした。


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