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【小説】 嘘っ子バー 【ショートショート】

 男も四十を過ぎると自然、女に興味が無くなってしまう。よほどの病的物好きでもない限り、若い女の尻の匂いをいつまでも追い掛け回すのは時間の無駄以外の何者でもないのは確かだけれど、困ったことにアニメや漫画、映画や音楽といった娯楽全般に対してすら段々と興味も感受性も色褪せて行くばかり。

 こうなるのは何も自分だけではなく、男性の中年期特有の症状らしかったのだが、何を見ても楽しめやしないので近頃の私は生きる張り合いをすっかり失くし掛けていた。
 ある日の会社帰り、後輩の依田から飲みに誘われた。まだ三十と若いのに、自ら先輩を飲みに誘うとは中々大したヤツだ。
 しかし、私は飲みに行くことすら億劫になってしまい、申し訳ないがせっかくの誘いを断った。

「飯島さん、せっかくだから行きましょうよ」
「うーん。悪いんだけど、気がのらないんだよね」
「だったら僕、面白い店知ってるんで行きません?」
「面白い店?」
「ええ。会員制で、中で話したことは他言無用なんですけど」
「他言無用か……やばい話しでもしているの?」
「いやいや、嘘をつき合うバーなんです。嘘っ子バーっていうんですけど。日頃から嘘をつきたくて堪らない連中が寄り集まるバーなんです」
「うーん、そうか。まぁ、楽しそうではあるな」

 嘘をつきたくて堪らない連中という者達に、私は多少惹かれた。すぐに嘘つきが成る職業をザッと頭に思い浮かべてみた。弁護士、営業職、宗教家、不動産、作家、銀行員、ネット起業家……続々と浮かんで来たものの、考えてみればこの世のほとんどは虚業に過ぎないことに気が付いた。
 世の中にとって本当に必要な職業なんてものは、ほとんどないのである。

「依田、やっぱり帰るよ」
「ええ? 行きましょうよ~」
「嘘つき見ても、別になぁ……」
「中々にリアルで面白いですよ? 行きましょうよ。ね?」
「じゃあ……一時間だけな」
「やったぁ!」

 依田の背後をついて行きながら繁華街を歩くこと五分。細長く古びた雑居ビルの四階に在るドアに依田がカードを翳すと、かちゃりと音が鳴って扉が開けられた。
 薄暗い店の中は白いソファのボックス席が十ほどあり、客の大半は腕に和彫りやタトゥーの入った見るからにイカツイ男達がほとんどだった。

「お……おい、ここ大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫ですって! みんなここに来る為にわざわざ嘘っこして、あんな恰好してるんですから!」
「本当か?」
「本当ですよ!」

 体重三桁はありそうな、「ふくよかな」年増のバニーガールに案内され、私達は空いているボックス席に座った。
 ビールが運ばれるとすぐに刺青の入った二人組が向かいの席に座り、知らない人間と私達は相席となった。
 二人組は見るからにやんちゃじゃ済まされない風貌の持ち主で、筋骨逞しい左の男は顔に傷を持っており、右の金髪男は指先にまでびっしりと彫り物があしらわれている。

 私が怖くて目を合わせずにいると、依田が楽し気に彼らに話し掛けた。

「今日はどんな嘘を持ってここに来たんですか?」

 ヤバイ、と思ったものの、金髪男は待ってましたと言わんばかりにパン! と手を鳴らし、にっこり微笑んでみせた。

「はい。僕は普段、おじいちゃんおばあちゃん相手にオレオレ詐欺を働いているんですけど、今日は初めて連続で騙せたんです!」
「おお~! 凄いじゃないですかぁ!」

 依田が感心してみせるが、いや、犯罪だろう。と思ったが、そうだ。ここは嘘をつき合う妙なバーなのだった。金髪が続けた。

「特殊詐欺って架け子同士を始めチームプレイが需要なんで、おじいちゃんおばあちゃんをしっかり上手に騙せて、受け子、出し子まで無事に繋がった時にみんなで喜び合えるのが本当、遣り甲斐感じちゃうんですよね! 受け子と出し子は尻尾切りなんで、電話繋がせてて警察にパクられる瞬間とか、みんなで聞いて爆笑したりしています!」
「へぇ~、楽しそうなお仕事しているんですねぇ。そっちの筋肉の方は、どんな嘘を?」

 バカ! 他人様のことを「筋肉」呼ばわりだなんて……と思ったが、この筋肉もまたにっこりと笑みを浮かべて話し出す。脳の中まで筋肉なのだろうか。

「僕は興行を中心にヤクザと組んで稼がせてもらっているんですけど、最近は治安維持の仕事でこんなことをしたんです」
「どんなことですか?」
「はい。島を荒らしてた強盗の三人組、それも不良外人です。そいつらを捕まえて、三崎の倉庫で死ぬまでボコボコにしてやりました。どうせ外人なんで、もしパクられても多分「器物破損」で済むかなぁって思ったのと、外国語で叫んだんで、ムカついて殺してしまいました。ははははは!」
「んー。もう少し詳しく、嘘つけます? なるべくディテールは細かく、お願いします」
「えーっと、三人とも椅子に縛り付けました。まず一人目の両目をスプーンでくり抜きまして、それをキャンプ用の鍋で煮て、二人目に食わせました。次に二人目のチンポを切断して、三人目の額に接着剤でくっつけたんですけど、なかなかくっつかなくて……大量に接着剤塗りたくったら液体が目に入ったみたいで、痛がってすごく叫んだんでムカついて殴ったら首の骨が折れて死んじゃいました。せっかくチンポもくっついたのに、あっさり殺してしまって……もったいなかったなぁ……」
「そうですかぁ。で、一人目と二人目はどうしたんですか?」
「はい! 通訳がやって来たんで「二度としないなら逃がしてやる」って伝えたら、一生懸命に命乞いをし始めたので、思い切りその頭を目掛けてニ十キロの鉄アレイをブチ込んでやりました! 頭が陥没して、空いた両目の穴から変な黄色い汁がビューッって出たんで、気持ち悪かったです。三人とも魚を練る機械に放り込んでしっかりと練ったので、今頃は練り物になって出荷されていると思います。ボク人間、昨日は倉庫、今日はかまぼこ状態です」
「そうですかぁ。とっても素晴らしい嘘をありがとうございます! ね? 飯島さん、楽しいでしょう?」

 依田は喜びに満ちた顔をこちらに向けたものの、私は嘘だと信じたかった。それは、彼らの嘘が「嘘」であると信じたいということではなく、彼らの話しを嬉々として聞いている自分に対してであった。
 次に、依田がこんな話しをし始めた。

「僕の先輩に物凄く疲れ切った中年男がいるんですけど、彼はまるで自分のことに気付いていないんですよ」

 今度は金髪が前のめりになって聞き返す。

「ほう。それはどんな嘘なんですか?」
「ええ。その先輩は夜中に寝ている間、あちこち調べられてて、起きた頃には何もかも嫌になっていることを知らないんです」
「へぇ。何を調べているんですか?」
「ええ。彼はイイ歳をしているのに独身で、仕事も大して出来ないし、これ以上生きていても仕方ないのでバラシて売ってしまおうと思いまして。血液検査から何から、色々と準備をしていたんです」
「なるほど! その方が世の為ってヤツですもんね!」

 うん、中々に悪くない嘘だ。彼らとはまたテイストの違う嘘で、まるで先が読めない。その「彼」はその後、どうなってしまうのだろう?

「彼は人がイイところがあるんで、のこのこホイホイ人の言うことを聞いちゃうんですよ。なので、こうして僕の隣に座っている訳です」
「え?」
「飯島さん、行きましょうか。最期に何か言いたいこととかありますか? もっとも、伝える相手はいないのは知っていますけど。はははは!」
「うん? おい、それ……私のことなのか?」
「はい! まぁ、もっとも、嘘なんですけどね」
「なんだ、嘘か。あぁ、まぁそうだよな。ここはそういうバーだったな」
「ええ。嘘なんで。じゃあ、行きましょうか」
「どこに?」
「立って下さい。店の奥、案内しますんで」
「おいおい、もっと凄い嘘があったりするんじゃないだろうな?」

 依田も、筋肉も、金髪も、にやにやしながら私の肩に手を置き始める。
 立ち上がると、店のあちこちから拍手が湧く。

「さぁ、あともう少しだけ付き合って下さい」
「分かったよ。もっと楽しい嘘が待ってるんだろ?」
「ええ。もちろん全部、嘘ですから。先輩がいつも言うように、この世は全部虚業ですから」
「全部とは言ってないぞ。じゃあ、行こうか」
「はい。あちらです」

 店の奥の暗がりに真っ黒なドアが見えて来る。あのドアの向こうには、どんな景色や嘘が待っているのだろうか?
 こんなに心が動くのは本当に久しぶりのことで、私はこれほど楽しい場所に来れたことを、依田に感謝し始めていた。


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