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【創業note】志に向かう経営者の想うこと~事業開始、解散、そして前進。創業1年目の2023年振り返り。

こんにちは。株式会社シンシア・ハートで代表取締役をしている堀内猛志(takenoko1220)です。
このnoteでは、起業を志してベンチャー企業に新卒入社したのに、結局17年も所属してしまった結果、38歳6か月にしてやっと起業した人間のヒューマンストーリーという名のポエムブログを書いています。

「猛烈な志(こころざし)」と書いて”猛志”という自分の名前が好きなので、ゴールに向かう自分のことを『こころざし社長』と呼ぶことにしました(23年12月31日現在)。

この後戻りできない感じがいいですねw 自分で名乗っているうちに慣れてくるでしょう。多分、最初はいじられまくるでしょうが、いじられる度に自分の志(こころざし)を話すという機会が得られるのではないかと思いました。認知科学コーチングでいうところの『セルフトーク』をこすり続ける機会が毎日1回以上は生まれると信じて2024年の1年間はやってみます。あまりにもしっくりこなければ2025年には変更するというリスクヘッジとともに宣言しますw

今回のnoteでは創業1年目について振り返ります。


なぜ創業したのか?

2023年の振り返りとか言いながら、いきなり自分語りします。だってこのnoteは僕の自己満足のためのポエムですからw

両親含め、祖父母や親せきが全員教師や教育関連の職業にいる僕は、小さいときから何となく教師になるのだろうと思っていました。そのため、特に自分にやりたいことがないことは気にせずに、自分のプライドだけで良い成績を獲り(小中学校)、自分の意志で勉強をしない時期を決め(高校)、親元を離れて青春を送りたいがためだけに早稲田(大学)に入学しました。

周りの友人は意識が高かったので、企業でのインターンや留学に向けた英語の勉強をしていましたが、僕は教師になるから一切不要と割り切って、全力で大学生活を謳歌していました。

ターニングポイントは教育実習の時ですね。自分の授業がないタイミングで他の授業の見学に行きました。そこで自分が文転するきっかけになった物理教師の授業を見ました。僕はずっと理系科目が好きでしたが、高校の物理がつまらなすぎて高3で文転したんですが、その時の思い出を彷彿とさせるつまらない授業をその教師はしていました。

当時の僕と同じようにつまらなそうに授業を聞く生徒、寝ている生徒で溢れている風景を見て恐ろしくなりました。こうやって才能が閉じていくのかと。教育実習を通じて教育の面白さと素晴らしさを肌で感じていたところもあり、未来の才能を白にも黒にもする教師という存在の重要性がわかりました。と、同時に、物理の教師の授業を見て、今、自分が教師になったらこの教師と同じようになるかもしれないと思いました。

教育は素晴らしい。しかし、今の日本の教育の中における教師に未来の才能を開花させる力は乏しい。そう思って、新卒ですぐに教師になることは辞め、一般就職することにしました。

内定はいくつかもらいましたが、業界よりも社長で選ぼうと思っていたので、一番しっくりきた前職のネオキャリアを選びました。前職の事業内容、仕事、報酬は全く見ていなかったです。社長の西澤さんを見て、この人の作りたい未来にまずはベットしようと覚悟しました。経営者になるために、経営者の視座視点を肌で感じながら仕事をしたかったので。

選考当時のネオキャリアは20人くらいの会社だったなのでどうなるかは不明でした。めちゃくちゃブラックかもしれません。しかし、そんなことを無力な自分が気にしていてもしょうがない。無力だからこそ、スキルが身に着くまでは自分の時間を売って報酬を得るしかない。いったん決断した以上は、この会社とこの社長に尽くして自分を磨こうと覚悟しました。

入社初日は終電、配属初日は朝4時まで仕事をしました。ビビっている同期を見て、なんでこいつはらベンチャー企業に来たんだろうかと不思議でした。僕は僕が持つ時間の全てを仕事にベットする覚悟を持っていたので、自宅を会社の近くの窓のない地下室のような場所にしていました。格安だったし寝るだけだと思っていたので。案の定、湿気がすごすぎて持っているモノが全てカビました。家にいると不健康になるので帰りたくなさ過ぎてずっと会社にいました。これは結果オーライで狙い通りではないですねw

そんなこんなで20代はビジネスサイドで結果を出し続けました。2年ごとに役割やミッションが変わり、それが面白くて気づけば28歳。さすがに30歳までには起業したいと思っていたところに、採用責任者というミッションが与えられました。正解がないことは直感で決めるタイプなので、何となく面白そうと思ってしまい、起業せずに採用責任者のオファーを承諾しました。

それからのストーリーはこちらのnoteを読んでください。

人事の仕事は非常に面白かったです。しかし、自分のキャリアの目指す像は、CHROではなくCEOであると強く思ったので、独立することにしました。

何をやりたかったのか?

ネオキャリアでの人事、また、複数社でのパラレル人事を経験しながら、下記のようなことを考えていました。

▼社会の「不」的なこと
「一般的な選考で良い人材を見つけることは、砂漠で砂金を見つけるくらい効率が悪い」
「働くことにネガティブな人が多すぎる」
「生産性を向上させるのは大賛成だが、たんに短くすることは日本の国力を弱くするだけであり、労働時間管理しているのが気持ち悪い」
「ヘッドカウントで人をみるから労働人口が足りなくなる」
「人と向き合うことが苦手だと思って人や組織を避けている経営者は多い」
「営業だと許されない未達成が、採用だと許されている会社が多い」

▼自身の中で湧きだつ「志」や「コンセプト」的なモノ
「グレーを狙うことと隙間を狙うことは大きく違う。グレーを狙うと結果的にLTVは下がる」
「徹底しないと中途半端になるが徹底しすぎると人の思考力を奪う」
「人のやる気に依存すると再現性がない。仕組みを作れるチームにしないと未来はない」
「水は上から流れる。トップが腐っているとチームが腐るのは早い」
「自己責任の使い方を間違えると『やりがい搾取』になる」

▼自分の中にある「好き」や「得意」のタネ的なモノ
「正しいことを正しく伝えても人は動かない。シンプル、かつ、面白くないといけない。その翻訳は自分は得意かもしれない。」
「面接や面談はめちゃくちゃ好きだ。人の人生というコンテンツはずっと聞いていられるし、その人の人生を想像し、違和感や納得感を使って人を見極める選考ができることが自分の強みである」
「毎回違った人に会うこと、違うお店に行くこと、話し続けること、これらは全く疲れないし、毎日したい。」
「構造化すること、イシューを抽出して言語化すること、それらからストーリーを作ること、これらはずっとできる」

こんなことを考え、自分の中の自分に向き合っていたのがパラレル人事時代です。結果として、自分が作りたい世界は自分で作ろうと決めて起業することにしました。

2023年は何をやったのか?

起業はしましたが、「『頑張ること』を『おもろく』したい」というミッション以外、特に決まっていなかったので、まずは生きるために稼ぐことにしました。

社名にコンセプトを掲げる

ミッションは決まってもビジョンがない状態でした。ゴールが見えないまま走り続けるのはしんどいことは理解しつつ、ゴールを決めつけて走り、途中で違和感を覚える未来も想像できたので、外せないコンセプトだけ決めました。

自分の中のコンセプトは以下の通りです。

「誠実であり続ける」
「正しいことこそ面白くする」
「一人でやるのではなくチームでやる」

このコンセプトを忘れないために、社名とロゴで表すことにしました。

社名とロゴ

Sincereは「誠実」という意味です。画数がイマイチなのと、もう少し温かみが欲しかったので「Heart」を加えました。妻に「ハートとかだせえ」って言われましたが余計に入れたくなったので僕はハートが好きなんだと思いますw

「チーム」や「みんな」を想起してもらいたかったことから、ワンコが2匹寄り添うロゴで、コーポレートカラーも単色ではなくグラデーションを取り入れ、変化する様子を表現しています。ワンコが2匹並ぶと真ん中の模様がハートっぽくなっているところがミソです。

いつかチームで宴をしているところを想像しました。自社を呼びやすく、また、宴での乾杯をイメージした時に「シンハー」って言いながらシンハービールを飲んでいることとかを無駄に妄想しました。

ゴールや事業は、自分やマーケットの変化によって変わるかもしれませんが、自分のコンセプトは変わらないと思っているので社名にし、決断の際には常にコンセプトに還るようにしています。

一旦「あるがまま」に全振りしてみる

会社員を辞めてなお、「have to」の十字架を背負っている自分がいました。17年の会社員生活で培った感覚や、勝手な人の目の意識ってのは怖いですね。自分の中で作り上げたイメージに苦しんだり、周りをうらやんだり、「起業した意味!」と何度も自分に問いかけました。

「have to」にまみれた自分をアンラーンしたいと思ったので、1年間は自分の頭ではなく心に従おうと決めました。結果、やりたいと心が反応したことは色々やってみました。

自分の時間単価を上げる
地元の人事戦略アドバイザーになる
大学の客員教授になる
2社目の会社を作る
思いついた事業をすぐに始める
繋がりたい教授のTAをやる
YOSAKOIソーランのチームに入る
noteを書き続ける
コーチングを学ぶ
気になっている領域のボランティアをする
妻との時間に妻に集中する
散歩したいときに散歩する
三線を弾く

大小さまざまですが、とりあえずノータイムで「やる」と決めて始めました。やりながら学んだことは多く、やりすぎて苦しんだことも多数ありますw

人のつながりを大事にする

初対面の人に会いにいくこと、会うチャンスを作ることは自分の得意領域です。「お前、営業好きだね」って昔の友達に言われて気づきました。営業って感覚なかったんですが、繋がりたい人との繋がりを見つけ、アタックし、繋がりを作り、繋がり続ける、この一連の流れは好きだし得意なんだと思いました。

起業して感謝する機会が増えたのは、自分一人ではできないことが、周りの人のおかげでできることが多いからです。この世界は繋がりでできているのだと実感します。

引用:ちはやふる

「チャンスのドアにはノブがない。自分からは開けられない。だれかが開けてくれたときに迷わず飛び込んでいけるかどうか」
漫画「ちはやふる」の一節ですが、この言葉が好きなので、ずっと体現しようとしています。

自分の中にある「好き」「やりたいこと」は、大概は今までの経験の中で焼てきたことの中で「できたこと」から探していると思います。しかし、未熟な自分はおそらく経験していないことの方が多くて、それらを知らないまま自分の「好き」「やりたい」は決められないと思っています。

自分を知り、自分を拡げるためには人とのつながりが育ち続けるということが最重要であると僕は思っています。ゆえに、人との繋がりはこれからも作り続けたいし、繋がり続けたいと思っています。

結果、どうなったのか?

色々やってみた結果、うまくいっていることは多数ありますが、うまくいっていないことも多数あります。

▼うまくいっていること
「ゴール」が明確になった
「強み」「好き」「得意」が言語化でき事業化につながってきた
「チーム」「コミュニティ」が新たに生まれ始めた
顧客の「プロブレムフィット」はできた
「オールライフ」が繋がり始めた
書くこと、鍛えること、が「習慣化」された
「尊敬」「賞賛」「共感」「感謝」の言葉が増えた

▼反省したこと
「自分ができること」も人に任せよう
「最初のチームメンバー」選びは100%と言えるだけ見極めよう
新しいことを始めるときは「今やっていること」をひとつ捨てよう
言動はすべて「アンセルフィッシュ」かどうかを確認しよう
集中力を上げるよりも「臨場感」を上げよう
自分自身でできることを増やすよりも「他力」を使おう
現状に満足しそうなときは「巨人の肩に乗った自分の目」で自分を見よう

公の場で言えること、言えないことはありますが、一つだけ確かなのは、「最速でやってみることは最速で失敗できる」ということが最高の価値だということですね。今の自分は40歳。遅すぎることはひとつもないですが、早すぎることもまたひとつもありません。2024年も自分の行動力、瞬発力、そしてアジリティを発揮していきたいと思います。

今、何を考えているのか?

総括としては『感謝』の一年ですね。すべての出会い、事象に感謝です。感謝に対してやるべきことは、期待を超える結果を出すことと、その結果によって貢献すること、だと考えます。

僕の人生に関わってくれた人すべてに貢献できるように、2024年も志に向かって猛烈に頑張りたいと思います。

『頑張る』を『おもろく!』
自分で掲げるミッションを自身が一番体現していきます。

2024年が皆様にとって最高の一年になりますように!!シンハー!!



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