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ドジャースの古いキャップ。

奥州市から上京された方とランチをする際、ちょっとしたネタにと、私はドジャースのキャップを被って行った。奥州市の英雄、大谷翔平選手にちなんでだ。ランチの場所は吉祥寺で手頃な価格の洋食屋を選んだ。

ドジャースのキャップを被るのは少し恥ずかしかった。特に今はベタ過ぎるし、日本で言うと阪神タイガースの帽子を被るようなものだ。しかし、わずかな救いがあった。私が被って行った帽子は、古いのだ。おそらくこのタイプのキャップを被っている人は今の日本ではほとんどいないだろうし、通な人はニヤリとするだろう。

1995年8月31日にドジャー・スタジアムで買った帽子。ちょうどその日に登板した野茂英雄投手の誕生日でもあった。選手が使用するものと同製品で、当時は同じものを買った日本人もたくさんいたはずだ。私は2週間ほど使用し、その後は実家に置いたままだった。それを思い出し、先日他の荷物と送ってもらった。当時はありふれたキャップだったが、今はレアな一品だろう。

奥州市の方にそんな話をしようと大谷翔平選手の話を振ってみたが、意外なことに反応が薄くて少し驚いた。東京でも感じることだが、地元はさらに大谷翔平選手のニュース報道が多すぎて、やや辟易しているらしい。フィリーズのキャップの方が良かったかもしれない。

奥州市には頻繁に時代劇で使用される、藤原の郷がある。大河ドラマもよくそこで撮影されている。大谷翔平選手の存在が大きすぎて他のものに光が当たらなかったり、影が薄くなってしまっているのかもしれない。そんなことを感じた会食だった。

1995年の野茂投手の活躍は大きなインパクトがあった。最大瞬間風速的にはイチロー選手も大谷翔平選手も叶わないと私は思っている。瞬時にアメリカ人の観客にも認知され、歓喜され、どの球場でもNOMOグッズが売られていたと記憶している。日米共に鮮烈な印象を与えたと思う。

なんだか取り留めのない話だったけど、日常はそんなもので、とりわけ私の日常は地味なのである。





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