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海老澤剛の生い立ち73-ハンドボール部の先生

わたしが入学したとき18期生でしたので、高校は創立18年でした。
18年が長いのか短いのか分からないのですが、当時としては、歴史ある高校と言われていました。
そのためか有名な先生がおられました。
特にハンドボール部顧問の佐分さぶり先生は、ハンドボールの世界では有名なかたでした。
日本でハンドボールが広まるように尽力された方のようです。

しかし、偉ぶったり威厳を見せる様子は全くなく、親しげに話しかけてくださる方でした。
身体は小柄で、長嶋さんのようなカン高い声で、いつも楽しげな先生でした。

わたしたちの代は3年のときに体育を習いました。
わたしにも「エビ、頑張ってるな」とよく声をかけてくださいました。

わたしたちが2年のときに、教育実習(だったと思います)で、日本体育大学のハンドボール日本代表クラスの選手が1ヶ月ほど東高校に来て体育を指導してくれました。
彼らの佐分先生に対する敬意も素晴らしかったです。

このような先生に出会え、直接ご指導を受けることができたのが、とても幸せなことだと思います。

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