麻雀の鳴きルール(発声聞こえない問題)に関する論点とその対策(案)
ポンがロンに聞こえたからチョンボ、リーチ発声が聞こえなかったから無効などについて。思うことをまとめました。
議題
この議論はいくつかの論点があります。
聞こえたか聞こえないかで判断するというのは妥当か
同卓者、または審判が判断するのは妥当か
耳が聞こえない人、吃音の人への配慮について
結局どうすれば良いのか?
大きくこの4つに分けて、それぞれについて考えを述べます。
聞こえたか聞こえないかで判断するというのは妥当か?
妥当ではないと思います。
基準があいまいで、周りの状況や聞き手の状況によるところが大きいためです。
例えば耳の遠い人がいる場合、あるいは周りがガヤガヤしている場合、集中して人の声が届かなくなっている人がいる場合、などは聞こえにくくなります。
それでも聞こえるように発声すれば良いという意見もありますが、ルールは性悪説で考え、基準も一定であるべきです。
言った言わないになるルールはトラブル時に効力を発揮しないので、厳密にいうなら何dB以上などがあった方が良いです。
(デシベル:工事現場の騒音などで使われる単位。接客に力を入れている会社などでは挨拶の基準にこの単位が用いられてることもあります。)
↑の本の会社だと90dB以上で挨拶とマニュアルに書いてあるそう。
逆に、全員とにかく大きい声で発声した場合でも、問題は起こりえます。
例えば、誰かが同卓者の声を真似て、または録音して再生した場合などは、聞こえたかどうかでいうと、発声したことになります。
マスクをしてたら検証のしようがないですよね。
そんなことしないという人も多分いますが、された場合でも対応できるようにする(性悪説で考える)が良いルールの作り方です。
まとめると、聞こえたか聞こえないかで判断する、は言った言わないになって水掛け論になりがちなのでよくないルールです。
同卓者、または審判が判断するのは妥当か
続いての議論で、判断する人は誰であるべきか問題です。
一般の対局では審判などはいないので、同卓者になると思います。
これについては、声が大きい人が有利となるのでよくないルールです。
例えば、誰かの発声が聞こえなかったとしてトラブルになるケースとしては、同卓者、または後ろ見していた人が「今のは聞こえなかったから無効だ!」と言い出して・・という場合がほとんどだと思います。
このとき、考えておきたいのは、発声の有無について、あるいはポンとロンの言い間違えは、対局の大勢に影響しないということです。
ロンかポンかは晒した牌の枚数で分かりますし、その有無も牌を見れば分かります。また、リーチが聞こえなくても牌が横向きで、かつリーチ棒が出ていることからリーチをしたかどうかは判断できます。
つまり、聞こえなくて困るということはゲームの進行上ありません。
なので、申告者の目的にはゲームの進行上での問題ではなく、それ以外の点になります。
となると何らかの私情が挟まれているわけで、あまり良い判断者ではないと言えます。
また、麻雀というゲームの性質上、利害関係があるという点でも、同卓者は判断者としても適切ではありません。
プロ団体等で審判をつける場合でも、完全な第3者ではないので厳密にはあまり良くないです。
新人プロがベテランのプロから「お前はポンかロンどっちに聞こえた?」と強めに問われたら、正しく判断できない場合があるからです。
まとめると、発声が聞こえないことを問題視する時点で正義感等の私情が入っている。そして、同卓者は利害関係があるため判断者として適切ではないとなります。
とはいえ、この点は他に人がいなければどうしようもない面もあります。コミュニティごとに一定の基準を作って置けるととても良いです。
耳が聞こえない人、吃音の人への配慮について
3つ目の議論として、ルールとして発声と聞き手の聴覚に頼るというやり方が適切かという点です。
これについては、現代の基準だと配慮が足りないと言われてもおかしくはなく、実際、聞こえたか聞こえないかを厳密に採用すると、声が出せない人、耳が聞こえない人は麻雀が打てないということになります。
そんなレアケースは個別対応だろ・・と思う方もいると思いますが、全国の交通網に点字マークが配置されている社会の基準からすると、やや乱暴と捉えられる可能性があります。
また、健常者であっても、声が小さい人というのは一定数おり、その場合、声が大きい人の基準で(自分より)声が小さいので無効といえてしまうというのは、多様性を重んじる風潮からすると、ややマッチョな理論と取られるリスクがあります。
まとめると、声の大きさや聴覚に頼らない仕組みがあった方が適切です。
結局どうすれば良いのか?
これらの議論の落とし所として自分が考えるのは、晒しと発声による二重確認です。
つまり、ポンという音声と同じ牌2枚の晒しを同時に行い、その両方(どちらかが不十分でも片方)を持って判断するというやり方です。
この場合、発声がなかったとしても牌が倒れていることを同卓者が確認し、ポン可動かを確認することができます。
卓上を見ていない人が次のツモモーションに入ったとしたら、見てなかった人も悪いとするルールです。
(もし気づかずツモモーションに入った人がいたらみんなで止めよう)
明確に何かを変えるわけではないですが、発声はする、ただし聞こえなくても罰則はない(注意くらいはしても良いかもですが)が丸いという理論です。
麻雀の発声は、
リーチ:リーチの発声と牌を横向きにする動作(+リーチ棒)
ポン:ポンの発声と牌2枚を晒す動作
チー:ポンの発声と牌2枚を晒す動作
カン:ポンの発声と牌3枚(または4枚)を晒す動作
ロン:ポンの発声と牌13枚を晒す動作
のように全て動作と音声がセットになっています。
なので理屈上は音声が聞こえなくても片方で判断ができます。
現状ではこの片一方(発声)にのみ重きが置かれているルールとなっている点を少し変え、この重みを同等にすることで発声問題が解決します。
その上で、声が出せない、または耳が聞こえない人が打つ場合には、鳴きカードなどを作って個別対応すると良いのではないでしょうか。
その他:同卓者が3人結託した場合などについての議論
「聞こえなかったから無効」だと同卓者が結託した場合、故意にチョンボを生み出せるのではないか?という議論。
麻雀の性質上、3人が組めばイカサマし放題という欠陥はもともとあるのですが、それをしやすくする(正当化する)という点でよくないとは思います。
人間の行動は悪いことをしやすい状況があれば悪いことをしがちになるので、ルールがきっちり決まっていて悪いことがしにくくなっている方が良いです。
声が小さい人に対して、声が大きい人が「聞こえないから無効だ」というのは「ハキハキ発言するのが正しい」と考えている人にとっては自分を正当化しながら表現できてしまうのであまり良くないです。
少し発展させて、「今の発声聞こえなかったよなぁ?」と気弱な人に言えば、まあまあ半分くらいは通ってしまうかもしれません。
これが上司と部下とか、先輩と後輩とかだと関係性で通せてしまいそうですね。
そういう根拠(詭弁のネタ)を与えないというルール作りが重要で、そのためにイカサマや結託ができてしまう問題はさておき、しづらい環境を作ることは重要かなと思いました。
特に、麻雀は対局中に非常に様々なことが起こり、機嫌が悪くなりやすいゲームでもあるので・・
と思いました。終わり。
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P.S. そういえば、声小さい人向けの鳴きボタン作りました↓
https://majyan-so.com/naki-test3/
たkると申します。麻雀用品のサイトと書評サイト、そのほか色々とサイト運営をやっています。Noteではサイト運営とか麻雀のノウハウを書いていきます。よろしくお願いいたします。