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「義景 辞世の句」に想う

 名将か、凡将か。
  この男の生きた意味とは、一体何だったのだろうか。

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館開館一周年記念特別展図録より引用

(本稿は拙稿「鳴かぬなら‥‥‥ホトトギス」(2023年9月投稿)と内容が一部重複しています。)

Ⅰ 「滝殿権現縁起」にみる「義景の呪い」

 福井市郷土歴史博物館の記事として、下のリンクに「義景は自害の際に後世の国主を50年にわたって呪った」ということが記されています。

 興味深い内容です。
 その中では、義景の辞世の句から読み解く私の義景像とはいささか異なる義景像が紹介されています。
 ここで、私見(異論・否定論が多いことは承知の上で)を述べさせていただきます。
 
 上のリンクの記事によると、義景の死後、江戸期にかけて重要人物に不吉な出来事が続発します。確かにそれは史実です。
 祟りを恐れた当時の人々が、それは義景の「呪い」だと信じ込んだことは無理からぬことでしょう。

 しかし、それが義景の「呪い」によると断定するのは物語としては面白いですが、非現実的な話で史実として受け入れることは私にはできません。
 当時の人々がそう信じ込んだだけであって、そもそも「義景自身が後世に呪いをかけた」かどうかさえも義景本人に尋ねてみないと分かりません。

 記事では、義景の遺言の中に「死後、呪ってやる」との文言があると記された「滝殿権現縁起」(江戸時代作)を根拠に、
 「義景の呪いが存在した」、そして
 「その呪いが後世の重要人物を次々と死に至らしめた」
 と記されています。

 でも、どうしても義景の辞世の句からは、死を前にして澄み切った心情、悟りの心境にあった義景像しか私には想い浮かびません。「自害・切腹」を恨んで後の世を呪ったとは到底考えられないのです。
 ましてや、「呪い」が「後世の災い」と繋がっていると因果応報のごとく考えることは誤解を招く恐れがあるように思います。私の素人考えでしょうか。

 一般に「〇〇〇縁起」という書き物は必ずしも史実とは限りません。伝説や書き手の作り話も含まれていることも多いのです。
 「滝殿権現縁起」の中にある「義景の呪いが存在した」という記述は義景の辞世の句に鑑みると違和感を感じざるを得ません。


Ⅱ  辞世の句に義景の実像を見た

(1)辞世の句

   七 転 八 倒しちてんばっとう  四 十 年 中しじゅうのうち
   無 他 無 自たなくじなく  四 大 本 空しだいもとよりくう


(2)辞世の句の北野流現代語訳

 四字四句の簡潔・整然とした文体で、無心の澄み切った境地を格調高く詠んでいる。
 私には非常に難解な句である。世間でもさまざまな読み方と解釈がなされている。ここでは、義景と対峙して我流の撮影を続ける人間として、なんとか私流の読み方と解釈を試みてみた。

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