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いろいろと思うところはあるのだった。

いろいろと思うところはあるのだが、本題は後回しにして明日のことを書く。とりあえず。

先日、Youtubeでたまたまテクノの動画を見て、昔YMOや電気グルーヴをよく聴いていたことを思い出し、「サンプリングだよなー」ということで、スマホにサンプラーアプリをインストールしてテクノ音楽を作ってあれこれ遊んでいた。数テイク試していたらかなりグッドな音源が仕上がったような気がして、録音機能も有ったのでダウンロードして聴き直してみた。なかなか良い。そこで試しにこのテクノ音源を使ってTuneCoreという音楽配信サービスで世界配信をしてみようと思い、Adobeの無料ソフトと自分の撮った写真でジャケットデザインを作った。

音源とジャケットデザインがあればTuneCoreに申請できるが、あいにくファイル形式が合わない。WAVという形式でないとダメらしい。残念ながらと言いたいが、諦めが悪いのでファイル形式変換アプリを見つけ出しWAVに変換した。聴いてみるとなかなか音質は良い。いちおうサンプラーアプリを使った音源なので著作権の関係で引っかかったが、フリー素材を利用したアレンジ音源という申請をしたら、ジャケットデザインの申請も含めて音源の審査もクリアできた。その結果が明日1月20日のスマホによる自作テクノ音楽の世界配信なのであった。

iTunes StoreやApple Music、LINE MUSICにAmazon Music、Spotifyも含めて、国際的な音源販売ストアに軒並み配信される。それを今朝は首を長くして待っているところなのだ。

前置きが長かった。いわゆる心の病の話なのだった。持病なので仕方がない。社会的な偏見があろうがなかろうが知ったことではない。

そういうことで思い出したのが北海道浦河町にある「べてるの家」という精神疾患患者を住まわせるというか収容している福祉施設である。ここの方針が大嫌いなのである。自分の人生の来歴と全く彼らの主張が反するのだ。

先にべてるの家の主張を書くと、彼らは降りていく生き方を示して、それを著作に示し、上野千鶴子氏や田口ランディ氏、雨宮処凛氏を利用して特殊化した患者像を世間に振りまいた。いわゆるコンボというNPOと組んで。幻聴・妄想大会や医療否定の治さない方針等、医事法や福祉法違反ではないかと思うのだが、べてるの家は浦河赤十字病院を離反した精神保健福祉士の向谷地生地氏と精神科医の川村医師が一般的精神保健福祉を逸脱した方針の精神保健施設である。それが降りていく生き方であり、患者に普通の苦労を、である。もちろんリハビリも否定し、精神科医療も否定である。おまけに当事者研究という心理療法としての効果の皆無な独自理論を全国的に流行らせた前例がある。

何でお前がそこまでべてるの家を嫌うのか?と言われて当然なのだが、降りていく生き方を全国の精神疾患患者に植え付けたのはたいへん罪深いし、当事者研究で各地の患者の自助グループでの人間関係のトラブルも散見された。要するにべてるの家の言説は、全国の一般的な精神保健福祉とそれに関わる患者にとっては全く異質だし、病気や症状を悪化させかねない危険をはらんでいるとさえ思う。あの特殊化した状況の洗脳された患者たちが一般的な患者像として全国に流布されたことには本当に憤りを禁じ得ない。

時は移り変わり、遅ればせながら厚生労働省も退院促進と地域包括支援を中心とした精神保健福祉に舵を切ったようだ。まだ推移を見守っている段階だし、隔離収容政策というか入院中心医療を進めてきた私立精神科病院団体の日本精神科病院協会(日精協)との兼ね合いもあるから擦った揉んだはあるだろうが。

自己体験から語ると、厚生労働省の精神保健福祉政策はすべて歴史的に失敗していたと言っても過言ではなく、今でも患者は貧困状態に置かれ、就労支援施設では抑圧的な労働環境下で低賃金に喘いでいる。患者を意思のない低レベルな存在とみなすのはべてるの家も厚生労働省も同じである。

唯一の希望は患者が退院支援と地域包括支援を受けることにより、徐々に地域生活にも慣れ、自分の生活や人生を取り戻す可能性があることだろう。これにより元々の自分と元々の能力を彼らが取り戻すことを地域生活の先輩から切に願う次第である。


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