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浦河町「べてるの家」から次の時代へ

心の病になって30年ほど経つ。それを巡っていろんな患者文化の潮流というか、そういうものの仕掛け人もいたので、個人的にはあざといと感じる人々について書いておきたい。

全国精神科家族会連合会は解散し、今は通称「みんなねっと」に変わったが、解散前の家族会連合会の放漫経営については家族会に参加した一般的な親御さんにはまったく罪はないと思っているので、これは省く。家族会がなくても済むような公的な支援制度の確立を望んでいるし、それは今後の検討課題なので長々とここでは書かない。

それよりも、自分自身があざといと感じるのは、北海道浦河町にある福祉法人「べてるの家」の20数年に渡る患者に対する影響で、つまり僕は「べてるの家」の提示する患者文化やイデオロギーが虫唾が走るほど嫌いなのだ。

説明しておくと、北海道浦河町にある「べてるの家」は精神保健福祉士の向谷地生良氏が今は廃院になった浦河赤十字病院からの退院患者と教会の中で共同生活をしながら始めた自治的な福祉法人である。それはいいとしておく。

しかし、僕が問題としているのは、彼ら、特に向谷地生良氏が「べてるの家」が一般的な精神科医療や精神保健福祉よりも自分たちが上回った桃源郷のように書籍やメディアを使って喧伝したことだ。この点が僕は気に入らない。

「べてるの家」のモットーは降りていく生き方というもので、一定数の精神疾患患者がこのキーワードに感化されたものと思われる。自分の疾患とは違うが統合失調症の患者が特に降りていく生き方を勧められており、他の医師の書いた本にも「低空飛行で生きていけばいい」と書かれていたりした。僕にとっては現代では主流になってきている「リカバリー」という考え方のほうが時代に相応しいと思う。

「べてるの家」の実際の運営がどういうものかは体験していないので不十分な批評にならざるを得ないが、基本方針として医療軽視というか病気を治さない文化があの団体には存在すると思う。推測に過ぎないが精神保健福祉士の向谷地生良氏とペアを組んでいる川村俊明医師は最小限の薬剤しか処方しないことを謳っているし、「病気の半分は皆に治してもらえ」という始末である。僕は医師ではないが、適切な分量の抗精神病薬を処方しないと脳が保全されないばかりか、彼らの主体としている統合失調症患者の幻覚や妄想すら治まらないと思う。

病状を抑えずに、幻覚妄想大会と称して浦河町の一般市民に一種の笑いものとして患者の症状を晒して平気だという、「べてるの家」の職員の感性が信じられない。医療的な守秘義務も有ったものではない。

また、べてるの家の特徴として「当事者研究」という患者が自分の症状に勝手な名前を付け、皆で話し合いをし指摘し合うという会合が開かれているのだが、僕から見ればまずちゃんと服薬をして症状を抑えることが第一であり、医学的な心理療法としてはまったく効果のない当事者研究は眉唾の極致とすら思っている。そもそも、「当事者研究」は向谷地氏がある患者の暴力行為を抑えるためにとっさに考えた思いつきであり、心理療法的な効果があって始まったものではない。

それをコンボという精神疾患に関する専門性を謳う宇田川代表を中心としたNPOが「こころの元気+」という機関誌で、べてるの家や当事者研究を宣伝し始め、さも一般的な精神科医療や精神保健福祉よりもべてるの家が勝っているかのような記事を連発しだした。それと同時に、田口ランディ、雨宮処凛、上野千鶴子といった著名文化人がべてるの家を大いに宣伝し一時はべてるの家詣でが絶えなかったと聞く。

しかし、べてるの家での幻覚妄想による殺人事件や、東京にあるべてるの家の出張施設「べてぶくろ」での性的被害問題もあり、今までのように褒め称えられる団体では無くなったようだ。

批判も多く聞くし、当事者研究は一時は全国の患者グループも実践していたが、効果がないのと個人情報が漏れるということから、ほぼ下火になったようだ。べてるの家での利用者の男女間の妊娠及び出産において、表面上は褒め称えられているようだが、女性患者が育てきれない患者を向谷地氏が育てたというネット記事も見たことがあるから、あの団体は宣伝されているより酷いという推測が立つ。

当事者研究に関しては東京大学大学院准教授の熊谷晋一郎氏や障害学者の荒井裕樹氏が研究したり広めたりしようとしているが、全国的に広まることもないだろう。守秘義務も守れないし心理療法的効果のない「研究」を医療機関が取り入れることはないからだ。

べてるの家に対する僕の批判の中心は、彼らが一般的で有能な患者たちのイメージを著しく引き落としたという点にある。また、一般的精神医療の否定とも取られかねない姿勢には反対しておきたい。

長々とべてるの家批判を書いたが、現在では厚生労働省が地方の病院も含めて地域移行支援制度の実行や推進を進めているので、「べてるの家」のような桃源郷は必要なくなった。元々べてるの家も以前の精神保健福祉にあった隔離収容的な考えに基づいており、ある意味宗教的な側面を持つ団体だと考えている。もうそろそろべてるの家信仰も終りに近いのではないかと思う。

それと同時にWRAPやリカバリー、最近では精神科医斎藤環氏の推し進める「オープン・ダイアローグ」という流れになっているが、リカバリーはアメリカの精神保健福祉政策の根本に据えられているので、エビデンスもあるし信用もできる。自分も実践中だがアシストしてくれる職員も少ないし、ぼちぼちと無理のない範囲で進めていけばいいと思う。

「オープン・ダイアローグ」に関しては海のものとも山のものとも言えないのだが、個人的な感想を述べさせてもらうと、服薬を全くせず会話だけで病気を治そうとするのが荒唐無稽な話に思え、実際に悪化した急性期の脳の保全は大丈夫なのかと疑問に思ってしまう。

ということで、最近の厚生労働省の方針の変更もあり、標準的な精神医療や地域移行支援制度、地域包括ケアシステムの推進、地域での生活を保つための訪問看護やホームヘルパー、孤独を防ぐためのデイケアに地域活動支援センターと、徐々に支援体制は整ってきた。個人的には就労支援制度はまだ人権侵害的な部分(低賃金と低レベルな労働)があるが、概ねは昔の精神保健福祉よりも格段に改善してきている気がする。

要するに、特別な神格化された福祉法人の影響が消え、中核的な地方病院や都市圏の病院が、地域移行支援制度、地域包括ケアシステムの推進により患者の地域生活を支える方向性が中心になるのが、今後の精神保健福祉のあり方として望ましいと感じている。


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