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表現とは「対話」だと大林宣彦監督から教わった。

2019年2月に、映画作家の大林宣彦監督から直筆のお葉書が届きました。

僕は次のようなある悩みを手紙に書いて大林さん宛に送ったのでした。

大林さんが著書(注: 『大林宣彦 戦争などいらない‐未来を紡ぐ映画を』のこと)で書かれた、
「黒澤明さんの戦争の歴史と、僕の戦争の歴史と、手塚眞くんたちの戦争を知らない世代の戦争の歴史とが、今ようやく結びついて、僕の過去を語ることが未来の戦争をなくす力になるんじゃないかとやっと思えてきました。僕は過去の戦争をきちんと蘇らせるから、その記憶を元に戦争なんかない未来をつくってくれよという思いを若い世代に託して。」
という文章を読んで、

黒澤明さんの続きを大林さんが継いでその続きを手塚眞さんや塚本晋也さんたちが作っていつか「映画なんかいらない幸せな世界が来るまで」作り続けつないでいく……でも観客の私たちには何ができるのだろうと悩み苦しんでしまいました。

「こういう映画があるんだ」「こんな志を持った映画人がいたんだ」「未来の人々にも観てほしい」と言い伝え広めていくのも大事だとは思いますし、究極、「観客だけでなく作ってみればいいじゃないか」とも言ってしまってもいいのかもしれません。(中略)

私には映画を作れる力はとてもありません。

私は大学で映画学を学んでいました。短編ですが映画制作も体験しています。ですから映画をつくるということがどれだけ大変なことかも知っています。体力的にも精神的にも弱く、集中力も途切れがちな私には一本の映画を観ることも大変ですが(注:今現在はさほど困難ではありません)、作ることは明らかにはるかに困難です。

こんなしがない観客の私はどうすればいいのでしょうか?

私の手紙

我ながら長いっ!重いっ!

そして、そのお返事が来たのです。
一部抜粋します。

芸術表現とは、演説・独白ではなく、送り手と受け手とが、等しく「対話」し合う事です。あなたの切実なお手紙は、僕と痛切に対話・会話をいたしました。あなたのお手紙は、僕に映画を作り続ける意義と勇気を与えてくれました。有難う。

大林宣彦監督からのお返事

芸術表現とは、送り手と受け手の等しい「対話」なんですね。

noteというものも表現による「対話」のためにあるように思います。

記事を書く人も記事を読むだけの人もコメントをお書きになる人も、このnoteにいる人は皆「対話」をしているんだと思うと、皆、実はスゴいことをしているんだという思いが溢れてきます。

noteに参加したことで、自己肯定感があがった気がします(時々残念な言葉で落ちる時もあります)。
noterの皆さんに感謝。

ただ僕の場合は、その自己肯定の根底にあるのは、この大林宣彦監督からのお葉書にある気がしてなりません。


改めて、ご丁寧なお返事ありがとうございました。大林宣彦さん。


こちらが僕が読んだ大林さんの著書『大林宣彦 戦争などいらない‐未来を紡ぐ映画を』です↓

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