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「わからない」という方法(著:橋本治)読書感想文

「わからない」という方法(著:橋本治、集英社新書、2001)


本を読んで自分が思っていることを先回りされて既に書かれているという経験はないだろうか。
私はこの本を読んでその経験をした。

自分がこの著者に対して思っていることを逐一著者自身が語るので正直感想文には困る本である。なぜかというと感想文はもうその本の中に十分すぎるほどあるからである。

この著者は馬鹿なのかと思うと自分は馬鹿かもしれない、なぜかというと…というし、すごいなあと思うといやその「すごい」とはなにかと言うと…と親切丁寧に教えてくれる。まあ著者の言葉を借りるなら「くどい文章」なのだが。

そしてなぜそんなことができるかというとあろうことか著者は「膨大なる知識の持ち主」だからと言ってしまう。
しかしその次には「実のところ、私は自分の頭がいいのかどうか、よくわからない。謙遜ではなく、よくわからない。よくわからないから、「俺って頭いいじゃん」が平気で言える」とまで言う(正確には著者は身体性を信用していてそれはつまり「自分の身体は頭がいい」となる。だからしつこく言われるのは「身体で覚えろ」である)。
そして「なんでも簡単に“そうか、わかった”と言えるような便利な“正解”はもうない」と何度も言い、「人の言う方法に頼るべき時代は終わった」と断言する。
だから「わからないけどやる」を著者は断行する。
度胸がないとできないことだ。
しかし「「わからない」は、思索のスタート地点である。そこから始めればこそ、「わからない」は思索の「方法」となる」と著者は言う。

難しい本ではない。著者の人間くささがよく出ている、なんというか憎めない人の本だ。

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