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愛について/愛のパンセ(著:谷川俊太郎)読書感想文

愛について/愛のパンセ(著:谷川俊太郎、小学館文庫、2019)


『愛について』

詩:昼夜より4連から引用

時〈私は夜だ
私は昼だ
私は雲
私はひと そして
私は苦しみだ〉

昼夜


時というものを見事に捉えた言葉だと思う。

『愛について』という詩で必ず連の最後に「そして私は愛ではない」と書かれて深く考えさせられる。例えば1連の

私はみつめられる私
私は疑わせる私
私はふりむかせる私
私は見失われた私
そして私は愛ではない

愛について

そして5連の

私は最もやさしい眼差
私はありあまる理解
私はerected penis
私は絶えない憧れ
そして私は愛ではないのだ

愛について


愛ではないのならなんなのだろうか。




『愛のパンセ』

恋している者はよく生きることが出来るのです。それがたとえむくわれない恋であろうとも。いやむしろ恋にはむくわれるなどということはないのだ。僕等は自分で種子を播き、自分でその成長を楽しみ、自分で収穫し、その収穫を自分のものに出来る。恋とはそれ程孤独なものなのかという人がいるかもしれません。恋は自分のためのものではない。恋はひととひととのつながりのためのものではないのか。

失恋とは恋を失うことではない

いわゆるプラトニック・ラヴというものは、あくまでひとつの準備期間にすぎないと私は考える。愛の中に精神的なものはあっても、男と女とが、いわゆる精神的な愛だけでむすばれるなどということはどうも信用出来ぬ。本当のやさしさは、肉体の中にあるのだ。愛にとっては、百万通の恋文よりも、只一度のあいびきの方が大切なのだ。
だが、人は云うかもしれない。どうやって欲望と愛とを見分けるのか?と。私には、そのように欲望と愛とを切り離して考える問い方そのものが、先ず一種の堕落であるように思われる。愛は肉慾の中に既にかくされているのだ。肉体的な欲望を過度に律することによって、私たちは先ず愛を傷つけてしまうのだ。私たちのするべきことは、欲望を恥じることではない、だが同時に、それを余りにあたり前なものとして、立小便のように片づけることでもない。欲望は私たちの力でもあるが、それはまた同時に私たちを超えたものの力でもあるのだ。私たちはそれを畏れなければいけない。

愛*私の渇き

だが具体的に、どうやって私たちは一緒に生きてゆくか。いろいろな途があるだろう。どんな小さな友情から始めることだって出来る。どんなむすびつきであるにしろ、それは究極には人間と人間とのむすびつきであって、それが人類を支えているのだ。本当に憎しみ合えるなら、憎しみ合ったっていい。本当におそろしいのは、人間が人間の中で機械化し、生きた人間的共感がもてなくなることなのだ。どんな小さな仕事だって、それは人間のための仕事である筈だ。しかし現代では、その自身のもてなくなっている人たちがどんなに多いことか。それでもなお、いやむしろそれ故にこそ私たちは、せめてひとつの夢としてでも、愛は失いたくはない。

愛*私の渇き


勇気づけられる文章たちである。エッセイと詩と歌、短い劇で『愛のパンセ』は構成されているが、愛とは恋とはなにか、そして自分の生き方が肯定されている気がしてとても嬉しかった。恋多くその分失恋も多い私に、なにかくすぶっている日々にガソリンを補給された感じである。そして谷川さんの言うように「愛は失いたくはない」。すばらしい本だ。

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