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『愛ゆえに無香料』存在を証明できない私たち#03

 福山くんと出会ったのは、一次創作の同人誌即売会だった。
 展示場などに机を並べ、ストーリーからキャラクターから自分たちで創造した、オリジナルの作品を展示頒布するイベントだ。

 数千からのブースがひしめき合う机のひとつで、私は自費出版の漫画を並べて開場の準備を整えていた。参加年数ばかりが長い零細サークルだが、おかげさまでそれなりに常連さんも顔を見せに来てくれる。

 隣は、どことなく慣れない様子だった。初々しくも社会人としての振る舞いは熟知しているふうの男性二人が、期待と不安の入れ混じった眼差しで前途を見据えている。かたや活気のある、もう片方は比較的おっとりした雰囲気で、後者が福山くんだった。

 軽く朝の挨拶を交わしたあと、気がつくと、もっぱら私が経験を語る格好で話が弾んでいる。初めのうちこそ口うるさい〝老害〟になってやしないか言葉に注意していたのだが、二人の人柄の良さに助けられて会話は身の上話にまで及んだ。

 ところで、私の机上には商業誌もあった。自分たちの病状を基にした闘病コミックエッセイだ。自費出版イベントのため、プロでも商業誌を置くことは稀なのだそうだ。しかし少しでもこの病を知ってもらえるチャンスがあるならばと、全く毛色の違う趣味作品とともにそれを並べていた。

 隣は片方が買い物に出て、さっきまで出版社ブースへ自身の原稿を持ち込んでいた福山くんが、入れ替わりで一人店番につく。「すごいですね!」と、こちらの商業誌を指しておっしゃるので、私は同志に発するいつもの照れ隠しを口にした。
「これは自身の病状を原作に漫画にしたもので、そういった〝未知の病〟を探していた出版社の意向と合致したラッキーパンチです」

「それでも、ご自身のつらい体験を作品にまとめるってすごいじゃないですか」と、彼は続けてくれた。「状態を客観視するって、病気の中にいると難しいことだと思うんで、よりすごいことだと思います」

 なにか実感がありそうな言い方に耳を傾けると、彼自身も病によって日常生活に支障をきたした経験があり、今も治療の半ばであるというようなことを打ち明けてくれ、話題は互いの闘病へと移っていった。

 しかし化学物質過敏症はさすがに耳慣れないからか、私が症状や発症の機序などを語るうち、彼は難しい顔つきになって黙り込んでしまった。

 私は緊張した。一方的に喋りすぎてしまっただろうか。そんな病はないと懐疑的に思っているのだろうか。

 発症して間もない一番過敏だった頃、知人の紹介で二時間ほど話した移住アドバイザーなる人は、特急列車の隣席で息も絶え絶えになった私に「本当にそんなふうになるんですね」と、距離のある感想を放った。「大変なんですねぇ」というお見舞い風の言葉の中に、疑念や不信が混ざっていることを患者は見逃さない。

 だからこのときも福山くんの、メガネの奥から遠いところを見つめる瞳に不安を覚えた。

 軽く流して主題を変えてしまおう。そう思ったときだ。「それって……」と、彼が口を開いた。「強いニオイがダメってことですよね。人が使っている香りつき柔軟剤のニオイが、ずっと服に残っていて、使ってる人に近寄れないとか」

 驚いた。理解が早すぎる。

 彼も驚いていた。

「実は、あの、僕、結婚しているんですけど、妻が……、えーっと、結婚する前の、まだ彼女だった頃から、ずっと整体に通っていて」という遠回りなところから、意外な話が飛び出してきた。

「その整体師の人が、ある日『ニオイつきの柔軟剤で体調が悪くなるから、無香料で洗濯してる人じゃないと施術できない』って言い出したんです。で、彼女は『整体師変えるより洗剤変えたほうが気軽』だったんで、すぐに無香料の洗剤に変えたんですね。それで結婚するにあたっての条件が、『あなたも無香料で洗濯する』だったんです。ほら、同じ洗濯機で洗濯すると、彼女だけ無香料でも僕の洗剤のニオイが移っちゃうから」
と、彼は至極当然のように言って、ちょっと惚気た。
「僕は自分が汗臭くないか心配でしたけど、彼女は臭くないって言ってくれるし、まぁ彼女さえ良ければいいかと思って」

 あっさり承諾したのだそうだ。

「あの先生もこの病気なのかな。僕、この本買います」

 なんという僥倖だ。

 まず驚いたのは、彼女が整体師を変えずに洗剤を変えたことだ。腕のいい整体師なら手放したくないだろうけれど、多くの人にとって日用品の代替は生活にインパクトを与えるイベントだと聞いている。

 実際、人は惰性を好む。〝お変わりなく〟が望ましい。
 どれほど変化に富んだ人生を歩んでいるつもりでも、根っこのところは変わらない。その最たる部分が、無意識のうちにでも済ませられる日々の用事で、毎日のように使うものの補充、詰め替え、ストックの購入に現れる。

 だから「洗剤を無香料に変えた」は、化学物質過敏症にとっては福音のように響くのだ。

 そして結婚するにあたって、無香料の条件を飲んだ彼は勇者である。
 なにも化学物質過敏症に限った話ではない。妊娠中、一時的にニオイに敏感になった妻が、夫の使う香りつきの日用品に困るという例は枚挙に暇がない。それらのエピソードは大抵「でも夫は〝ソレ〟をやめてくれなくて、つらかったんです」という妻の嘆息で終わる。〝ソレ〟のところには、石鹸、ボディソープ、シャンプー、香水、歯磨き粉、アフターシェーブローション、ハンドクリームなど、様々な日用品が入る。

 ところが福山くんは変えた。理由はシンプルだ。だって彼女と結婚したいから。彼女が臭くないっていうなら自身の体臭も気にしない。実際イベントで隣に座っていて、体臭などしないどころか余計なニオイのしない福山くんは、神々しいほどありがたい存在だった。おかげで私は大きく体調を崩すことなく一日を過ごした。

 そして最後に、本を買ってくれたのも喜びだ。冗談で書くけれど、個人的にはそこ、大事。

 私たちの会話は無香料生活の共通体験でいっぱいになった。

「前の洗剤で洗濯した服を衣装ケースにしまっていて、しばらく経ってそれを開けたらもう、すっごいニオイで。それまで普通に使っていたのに、こんな強い洗剤だったのかって、無香料に変えたら気がつきましたね」

 これもよく聞く話。化学物質過敏症でなくとも、喫煙者がタバコをやめたらニオイを強く感じるようになったのと同じである。我々が、いかに香料によって鼻が慣らされているかの証左ともいえよう。「しばらく経って」の期間は、半年から二年ほどと収納していた時間は違うのだが、よほど強烈な経験で印象に残っているのか、こちらから聞かなくてもその例はよく挙がってくる。

 ニオイの経験は記憶に残りやすい。脳の中でニオイを感じる部分と記憶を司る場所が近いからだそうだ。ニオイと経験。それが美しい記憶であれば何度思い出しても幸せな気分になれるだろう。だが多くはギョッとなったときのイメージが鮮烈さをもって刻み込まれる。なぜか。

 それは太古の昔、我々がまだ洞穴で暮らしていたような頃、最も危険なことといえばビットコインの喪失ではなく、火事だったからだ。うっかりその後の数千年で忘れてしまったようなのだが、私たちは視力のほかに、いや時には視力よりも、聴力や嗅覚を頼って危険を察知していた。それを思えば自ずと答えは出る。

 ところで、視力や聴力という言葉はあるが、嗅力は一般的ではないように思える。「見える」「聞こえる」に対する「匂える」はどうだろう。「嗅げる」はあるが、こっちはなんとなく「鼻が詰まっていて〝嗅げない〟」のような、物理的な吸入可否の表現に思える。
「ニオイを感じることができる力の強弱」を示す言葉がないということは、果たして「『誰もがその力を等しく持っているとは限らない』という事実が共通概念化されていない」ということなのだろうか。それとも浅学寡聞の身である私が、相応の言葉を知らないだけだろうか。
「鼻が利く」と聞くと、類語と目される「目敏い」や「耳が早い」よりもずっと本能的で感度が高いような気がする。

 福山くんは夫婦揃って無香料生活を続けるうちに、匂えなかったものが匂えるようになった。化学物質過敏症という言葉も知らず、もっといえば彼はことの発端になった整体師に施術を受けたこともなく、ただ妻への愛——たとえそれが万が一にも彼女の機嫌を損ねたくない一心だったとしても、私はそれを愛と呼称する。また念の為、そこまで踏み込んだことは尋ねていない——ゆえに彼は嗅力という古のスーパーパワーを取り戻したのだ。
 その愛の鼻で、これから存分にものごとを嗅ぎ分けていくだろう。



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※この記事は事実に基づいていますが、登場人物は仮名を使用しています。


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