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風景印さんぽ#13 京都に大仏とかあったっけ?(京都市東山区)

京都大仏前郵便局。京都に大仏とかあったっけ? 大仏といえば奈良大仏とか鎌倉大仏。
京都は古都だけど、大仏とか聞いたことないぞ…ところが、あったんです。昭和まであったそうです。今は郵便局にその名が残っています。

京都にも、あったんだ…大仏

天下統一を成し遂げ、栄華を誇った豊臣氏。豊臣秀吉は奈良東大寺の大仏より、さらに大きな大仏様(方広寺大仏)を文禄4年(1595)を建立しました。高さは20mもあったそうです。(奈良大仏は約15m)
ところが、翌年の地震で倒壊。その後秀吉の息子秀頼が再建するも火災で消失。
さらに大仏再建と共に大仏殿や梵鐘を完成させましたが、その梵鐘が豊臣滅亡を招いた 
あの有名な梵鐘。

江戸時代以降も、何度か大仏再建されましたがその度に倒壊消失。
最後は昭和48年(1973)の火災でついになくなってしまいました。
昭和の時代まであったんですね…不運というか、呪われていたというか…

なんか怖い。

(上の写真は、こちらからお借りしました)

その大仏殿の跡地…往時は見事な伽藍を誇った方広寺は、今は本堂と鐘楼を残すのみ。

豊臣氏滅亡を招いた、あの梵鐘。

京都大仏前郵便局の風景印にも大きく描かれている、方広寺梵鐘と鐘楼。
秀吉の息子、秀頼が作らせた梵鐘に刻まれた銘、
「君臣豊楽」「国家安康」の文字に徳川家康がいちゃもんをつけました。 
豊臣の繁栄を願い、家康の名前を分断したと。
んーまあ、言いがかりですかなあ。

ここ、ここ!ってちゃんと囲ってくれてます。

怒った徳川家康は、大坂冬の陣、大坂夏の陣で大阪城を攻め落とし、
豊臣氏は滅亡に至ったのでした。
その、歴史的にも有名な梵鐘。大晦日には除夜の鐘をつく事が出来るそうですよ。

豊国神社で出世を祈願する

方広寺梵鐘鐘楼の庭続きに、豊臣秀吉を祀る豊国神社があります。

秀吉死後創建されましたが、豊臣氏滅亡後、徳川家康の命により神社は廃絶。
今の神社は、明治13年に明治政府が再興したものだそうです。
秀吉といえば、立身出世。出世したい方、配偶者さんの出世を願う方は是非お参りを。
ウチの夫氏も、もう少し早くお参りしていたら…?

直書きの美しい御朱印。秀吉のシンボルの瓢箪も。

甘春堂のおぜんざいに救われたぁ

この日は一月の半ば、とてもとても寒い一日でした。三十三間堂から豊国神社とめぐり体の芯から冷え切った我々の目の前に、「ぜんざい」の旗が! 吸い込まれるように店内に入って行きました。
京菓子の老舗「甘春堂」さん。

こりゃたまらん。
沁みた…
和菓子の木型が沢山
遠くの山には雪が。寒かった…

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