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休んだら生き方の手札が増えた

部屋の模様替えがしたくなった。
新しい家具が欲しくなって、朝から何だかウキウキしている。

転職を機に引越してきた今の家を、私はすごく気に入っている。
朝、太陽の光を浴びたいと思って東向きの部屋を選んだ。
夕方になると向こうの通りのマンションに反射した西陽が部屋に入って来る時間が好きだ。

自分の力で手に入れたこのお気に入りの空間で生活していることが、自分自身を満足させているんだと思う。


こうやって、他の誰のものでもない私だけのものを大切にしたい。
独身一人暮らしの贅沢で愛おしい自由な時間を、別に誰のためでもなく、私のためだけに生きてみよう。
少し恥ずかしいけど、そんなことを考えられるようになった。


以前の私は何に生き急いでいたのか、少しでも前に前に進むことばかり考えていて息切れしていたし、今思えばちょっとtoo muchな毎日だった気がする。


インスタのアカウントで、休日に消化した趣味の記録をして、それを見返すことでちゃんと中身が詰まった日々を過ごしていることを反芻して安心していた。
結構ちゃんと更新していたので、休職する少し前からパタリと更新されなくなったことをきっかけに周りの人に心配されることも少なくなかった。

自分のためと思っていた生活の切り抜きが私じゃない誰かの意識の中に存在しているということを、前の自分だったら「安心」として捉えていたかもしれない。
ちゃんと社会に属して、その中で他者にも見られているという自意識を確認できていたから。

その自意識を維持するために生きていたような感じがしなくもない。


でも今は、もうそれが必要ないような気がしている。
誰かの意識を介在させずとも、今の私を形どってあげられているような。
言語化が難しいけど、自己理解の層が厚くなったおかげで不安定だった自意識に支柱がついたような安心感がある。


ちっともイケてる記録にはならないけど、お気に入りの部屋でソファに身を沈めながら心地の良い「無」の時間を過ごすことも、私を安心させて充実させる生き方の一つになった。


引きこもってとにかく静かにしていることが休職・療養の第一歩だったおかげで「充実した一日」のレパートリーが増やせることになったし、そのおかげでか前より自分の部屋が好きになった。

自分を安心させるお気に入りに囲まれて、のんびりゆっくり引きこもることも楽しめる自分に「なんか、いいじゃん」って思えるのが嬉しい。

前向きに家で「無」になれるようになったのは、休職の副産物としてよかったものとしてカウントしてもいいかなと思っている。


休職も悪いことばかりじゃない。とまでは正直言い切れないけど、休むことは空っぽのまま後ろに下がっていくだけではないよと、自分にも言ってあげられたらいいなと思う。

立ち止まっているからってそれは決して悪じゃない。
ついでに生き方の手札を増やしてやるかくらいに思えたらいいんだきっと。



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