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余白と余韻のある生き方を

日々を生きることに必死だ。
なんだか毎日を生きることが精一杯で上手く息を吸えても吐けてもいないような、そんな気がする。

復職したとて心はそう綺麗に前にまっすぐは進まない。
これが私のリアル。


復職して一カ月と一週間が過ぎた。
それなりに仕事のペースも今の自分にカスタマイズされてきて、朝から晩まで生きるリズムが安定してきた。寝る時間も起きる時間もご飯を食べる時間も毎日一緒。
ちゃんとそれを苦じゃなく続けられているなと自分では思っている。
体調も特段大きな不調もなく、ほどほどの波を抱えつつも以前に比べたらその波の乗り方も上手になった。
落ちている自分を肯定してあげられるようになってから、谷底に墜落することは少なくなったようには思うけど、かと言って毎日を生きる足取りが軽くなったわけではない。

むしろ毎日の一歩一歩は前よりもずっしりとしていると思う。


先日、カウンセラーさんとお話しした時に「まだまだと思っているみたいだけど、結構大変なことをやり遂げちゃっている状態なのを忘れないで」と言われた。

私は復職日からフルタイム&フル出社をしていて、部署を異動したことで前よりも新しい人や新しい場所に顔を出す機会が増える仕事をし始めた。
まずは体を慣らすという名目で異動したはずが、事情を知らない人からしたら、ただの異動してきた新しい担当者として働いている。

私のことなので当然のことながら、一生懸命仕事を覚え、慣れない仕事や知らないことにイライラし、暇な時間を不安に思い、早くもっと稼働しないとと前傾姿勢で鼻息を荒くしてしまう。

そうやって気を張って疲れながら、担当者として半人前にすらなれていない状況を「まだまだだ」と思い続けながら仕事をしていることを、カウンセラーさんにはあっという間に見抜かれた。

今は仕事を頑張るフェーズではないんだから、と念を押されるけど、分かっちゃいるけど分かってない。


何の不自然さもなく職場に戻るために必要なのは、私にとってどうしたって真面目にしっかりそつなくちゃんとしていることだ。それが何よりも私を安心させる。

疲れは同時に働ける自分という自信の後ろ盾なのだ。


まだまだのんびり小さな歩幅で生きることは癖付かない。


なんでも急いで先回りしたくなる私に、余韻と余白を「意識」するのではなく「タスク」にしてくださいとカウンセラーさんは言った。
余韻と余白があった方がいいな〜ではなく、余韻と余白がないとやり直し、と考えること。

ひとつ仕事を終えたら「またちゃんと仕事終わらせちゃってる、私、だなぁ」と謎の感想をひとつふたつ交えて席を立つ。少し時間が空いたのならオフィスの外に出る。歩く。

無理矢理にでも体を動かして余白と余韻を生み出すことが、今の私のタスクになった。
「余白と余韻」という言葉からは想像もつかないほど風情も趣もない。


いつかそれが板に付いたらどんなに素敵だろうと、未来の私に憧れを抱きながら、まずは手間暇かけた嘘くさい余韻と余白のある生き方にチャレンジしたい。

咲き乱れるお花の中に葉っぱがあると落ち着くように。


私は私自身を認めてあげながら、もっと自分のことを積極的に愛せるような。
そんな私になれたらきっと未来の私も、その頃過去になっている今の私も喜んでくれるんじゃないかな、と言い聞かせて、明日は今日より沢山息を吸って吐けるといいなと思う。

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