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「とりあえず」は怖くない

先々の不安を誤魔化すドーピングを続けていたせいか、久しぶりに夜涙が止まらなくなるやつになった。
なんで泣いてるのか自分でもよく分からないけど一つ分かることは多分、今、すごく無理をしているということ。


何とか「ちゃんとした」道筋を見つけたくて、でも転職も復職も自分の中で上手くいく自信がないから怖くて不安で。
先々のことが決まりきらない状況に少しでも前進している実感が欲しくて、決定事項を探している感じが強くある。「よし、これで行こう」と確信が持てる道しか進めないからだと思う。
この道で行けば、あれもクリアこれもクリア、万一道がぬかるんでいた時の準備も万端だしきっと怪我せずに進める、なんどもシミュレーションして確認したから大丈夫。

本当に石橋を巨大ハンマーでぶっ叩いて一ミリでも欠けたら危ない橋だと判断してしまう人生だったせいで、欠陥どころかかすり傷一つでも見つけたらその道は進めなかった。


行ってみて、もしダメだったらその時考えるが出来ない。
ダメだった時に脇道がなかったら?元来た道が崩れていたら?
ありもしない最悪の事態を想定して不安になる。

転職して、また合わなかったら?
復職して、また調子を崩したら?

痛い目を見てしまったせいで、これまで以上に先に進むことに怯えてしまっている。これまでだったら進めてた道にも多分踏み出せない。
そのくらい、一度ダメになってしまった自分が今でも許せていない。

もう二度とこんな辛い思いはしたくないし、もう二度と立ち止まりたくない。そのために今まで以上に慎重に、絶対に安全で確実な道を選ぼうとしすぎてしまっている。
ただ、選ぼうにも、昔の自分ではないから、前だったら踏み切れていたかもしれない一歩も踏み出せない。
でも止まっていることの方がもっと辛いから、全速力で同じ地面を蹴りながら走っている錯覚に陥って何とか自分を騙して、今私は走り出そうとしている、進もうとしている、前に進む体力は十分にあるからあとは道が舗装されればいいんだ、と思おうとしていたのかもしれない。

マラソンは出来なくなったけど、ランニングマシーンで走れているからと安心を偽装していた。
でも、多分、私は怪我をして走れなくなっただけじゃなくて、走りたいという気持ち自体も一度失ってしまったから、怪我の治療だけで走れるようになったと勘違いしてはいけないなと思った。


カウンセラーさんに「プロセスの決断」を教えてもらった。
私の場合は、成果主義なので、必ず成果が出るためのありとあらゆる決断の集大成がまとまらないと納得できないのだけど、目指すゴールに向かうための一つ一つの過程・プロセスを小まめに区切って決断するようにするという。

今の私だったら
・働きたい
・働きたくない
という気持ちを決める。

それが決断できたら今度は、
・働ける
・働けない
を考えてみる。

その2つを決断できたら「とりあえず」働いてみる。
働いてみてからようやく
・やっぱり無理
・割と大丈夫
を決めていけばいいと。

ありとあらゆるダメだった時のことを考えすぎて、色んなトラウマを抱えすぎて「とりあえず」なんて危なっかしいこと出来ないと最初は思っていたけど、「とりあえず」の「安心感」を得られることが今の私にとっての最大の成果なのだと考えられるようにしたいと思う。


無理をしていたことを、自分の頭と体が危険信号を出して教えてくれた。
ここ最近、少し元気になっているのとは裏腹に心がずっと騒がしかったので、ちゃんとストップをかけて一呼吸おけた自分、偉いぞ!と思って今日は帰り道に苺大福を買いました。


今の自分にとっての正しい道を、以前とは別の軸で捉え直して、まずは大の苦手だった「とりあえず」で一歩を踏み出す勇気を持てたらいいなと思う。

何より私自身が、安心して、柔らかな気持ちを持てる方法を選べるように。

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