「無痛おねだり」ってまじでなんやねん!!!!!


この件、当方は質問者でもないのに、すごくすごくすごくもやもやして、「無痛おねだり」ってなんやねんと、夜な夜な考えて眠れなくなってしまった。寝れないついでに、この気持ちの悪さ・もやもやの原因を考えてみたため、5つの欠如によるものとしてまとめておきたい。

▼無痛おねだり発言について
5月5日、俳優の生田斗真(39)が、Instagramでファンからの質問を募集し、ストーリーズで返信。その中で、「今日で妊娠9ヶ月です 出産こわいよー」という投稿に対して、生田の返信は「旦那様に無痛おねだりするか」というものだったという件。

https://girlschannel.net/topics/5140475/

①思いやりの欠如:妊娠している質問者に対して、体をいたわったり、妊娠を祝福したりする言葉が一つもない。


「今日で妊娠9ヶ月です 出産こわいよー」というコメントに対して、「体に気を付けて、ゆっくり過ごしてください。」とか、「妊娠おめでとうございます」とか、質問者への寄り添った文面が全くなく、ただ唐突に「旦那様に無痛おねだりするか」のみの返答。
質問者は「出産がこわい」とコメントしているだけで、出産に伴う痛みだけが、原因ではないかもしれない。変わりゆく身体への不安かもしれないし、胎児への不安かもしれないし、漠然とした未来への不安かもしれない。
「出産ってとっても痛いって聞いてて…。ほんとに怖くてどうしたらいいだろう」などと、痛みに対する不安が明確に書かれているわけではないのだ。
不安を吐露している妊婦さんに対して、不安に寄り添うコメントでも、元気になれるようなコメントをするわけでもなく、アドバイスのみで返してしまうところに、質問者への思いやりをまったく感じられないことが、もやもやするのである。

②出産・無痛分娩に対する理解の欠如:出産の不安が無痛分娩で解消されると思っている自分事ではない故の浅はかさ


さらに、出産への不安に対する"アドバイス"が「無痛」という点。
「無痛分娩」を死ぬほど調べたことのある私は、「無痛分娩」にしたからと言って、100%痛くないとは限らないということや、足の感覚が鈍る・血圧低下・排尿障害・発熱・頭痛・かゆみ・麻酔中毒・細菌への感染・呼吸困難・身体の麻痺などの副作用が起こるリスクもあるということを知っている。ネットで調べたり、直接医師に相談したりして、そのリスクが起こる可能性が低いということも知り得たのだが、それでも、わずかな可能性であったとしてもリスクがあること、なにより胎児へのリスクが本当に怖かった。「無痛分娩」を選択したとしても、選択しなかったとしても、自分の判断で、我が子も自分の未来が変わってしまうかもしれない覚悟を持たないといけないのである。無痛分娩に対して、調べれば調べるほど見ず知らずの他人に、気軽に無痛分娩を勧めることはできないはずだ。

デリカシーとSNSリテラシーの欠如:
「無痛分娩」だけではなく、出産に伴う全てがデリケートで個人的な問題である。生田は、質問者の家庭の経済状況も、そもそもパートナーがいるかも、パートナーとの関係性も、本人の健康状況も、何もかも分からないのにも関わらず、届いた数あるDMの中からこのコメントを自らの意思で選び、あげく「旦那様に無痛おねだりするか。」という返答を世界中に公開してしまった。気心しれる仲間との居酒屋でぽっと出た会話というわけじゃないのだ。(いや、そういう場であっても、あまりの無神経さに私なら驚いてしまうであろうが。)
様々な選択・考え方がある問題に対して、対面と同じくらいの慎重さも持たず、無責任な返答をしてしまうことに対して、SNSリテラシーの低さ、配慮のなさ、無神経さを感じてしまった。まじでなんの意味があってこんなこと言ってしまったんやろう。

⑤言語センスの欠如:‟「旦那様」に「無痛おねだり」”すべての単語が不適切
これはいろんな人が声をあげている通りなので多くは書かないのだが、「ねだる」は甘えるなどして要望を通そうと働きかけること。相手の好意や愛情に甘えて、何かを要求する意である。
相手のパートナーを旦那さん、旦那様という呼び方をすることは、まだまだ日常的に見られるため、「旦那という呼び方が主従関係を思わせるからふさわしくない」という言葉狩りをするつもりはない。ただ、「ねだる」という言葉に甘えの意味合いが含まれる以上、「旦那様」が加わることによって、出産という命をかけた一大事を、「旦那様」に「甘え」て、「無痛分娩」で解決しなよと言わんばかりの文面となってしまう。
経済的選択権を持つのは、ねだる先の夫であり、主従関係によって、夫の行為や愛情に甘えなければ「無痛分娩」は得られないという決めつけが透けて見えるのである。
もしそんなことは生田の意図しないところで、本当は「無痛分娩という手段を提示することで、選択肢の一つとして家庭で話し合ってほしかった」ということであれば、「旦那様に無痛おねだりするか」という一言は、まったくもって言語センスが皆無と言わざるを得ない。

以上が私の中の今のところ語れるもやもやポイント。
上記もやもやを踏まえて得た学びとしては、あたりまえのことだが、「知らない人に対して、知らないことへのアドバイスは軽々しい気持ちでしたらいけない」ということである。知らないことに対しては、どうしても寄り添いきれなかったり、無知ゆえに傷つけてしまったりする。もやもやの言語化を踏まえて、今後の自戒としたいと思う。語り得ぬもの、経験したことのないものに対しては、気遣いと思いやりと真摯な対応をしていきたい。


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