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ベイクドビーンズの缶詰

年末も押し迫った日のことだ。
いつもと同じスーパーに
いつもと同じ時間に
パートナーと買い出しに出掛けた。

クリスマス前で 店内は混みあっていた。
例年なら キラキラ ワクワク
人々は浮かれた気分で
そわそわと買い物している。

2020年の暮れのスーパーは
どんよりとして
厚い雲に覆われた
しかめっ面した
冬のイギリスの天気のようだった。

私とパートナーは
映画「Chef」で観た
『キューバンサンドもどき』にハマっていて
それにぴったりのスーパーの自社製品
BBQ味の豚肩肉の缶詰を見つけたのだった。

ところがいつ来ても 品切れしている。
ニッチな商品で
一旦在庫が切れると
なかなか入荷しないようだった。

「今日こそ
プルドポークの缶詰を買い占める!」

パートナーは自らミッションを課し
店内に入るなり
缶詰の通路へ直行した。

しばらくしてから
パートナーを見つけて
声を掛けようとして止めた。

ニット帽を被り
軍物の薄汚れたジャケットを着たおじさんが
なにやらパートナーに向かって
話しかけている。

もしかしたら
顔見知りなのかもしれない。

私はそう思って
大柄なミリタリージャケットおじさんに
挨拶をする。

おじさんは「シーッ!」と呟き
くしゃくしゃの笑顔を崩し
私にウインクをしたかと思うと

あれよあれよと言う間に
ベイクドビーンズの缶詰を
ミリタリージャケットの大きなポケットに
詰め込んでいった。

手品を観ているようで
唖然としていると
おじさんは
屈託のない笑顔を向けてきた。

私は我に返って
「よいお年を!」と声を掛ける。

おじさんは嬉しそうに
「ありがとう。君たちもね!」と言い
颯爽と売り場を去っていった。

パートナーは何事もなかったかのように
またミッションに戻っている。

棚を上から下まで
入念に調べ上げている。

私はそんな彼の背中を見て
ちょっと嬉しいような
誇らしげな気分になる。


人生には
ままならないことが多々ある。

自分では
どうにもできないことがあるものだ。


自然災害 戦争
パンデミック
事故 病
破綻 倒産


人間は強いけれど 時に弱い存在だ。

「イラク人質事件」を機に
一斉に広がった「自己責任論」は
誰かを しあわせにしたのだろうか?

「自己責任」の名のもとに
世間は 監視の目を光らせることを許された。

監視の目は
他者へ。弱者へ。異文化へ。

厳しく取り締まれば
取り締まるほど
自分をがんじがらめにするとは
気がつかず
監視することが
善良な市民のつとめだと
アピールする者たちもいた。

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気を
われらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、
変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー (大木英夫 訳)


私は「ニーバーの祈り」を 唱える。
正義感を振りかざしたいわけじゃない。

さいわい 寒い冬も温かい寝床があり
食べるものにも困らない。
でも 心の奥底で「明日は我が身」の
警告ランプが 常に点滅しているのだ。

「自己責任」では
どうにもならないことを
私は知っている。

いつかテレビのインタビューで聞いた
ホームレスの言葉が忘れられない。

「硬貨よりも 食べ物よりも
欲しいものがある。
もし通りで見かけたら
目を合わせて 挨拶して欲しい。」

ひとつだけ
はっきり言えることがある。

自分への監視をやめたら
もっともっと楽に生きれるし
他者にも寛容になれる。

ミリタリージャケットおじさんは
スーパーで一番安い
20ペンス(30円)の
ベイクドビーンズ缶を握りしめていた。

「ハインツの缶詰のほうが 美味しいのに。」

おじさんが去った売り場で
ひとりごちる。

買い物を済ませ外へ出ると
耳が凍るような
冷たい風が 吹き荒れている。

クリスマスは雪が降るらしい。

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