見出し画像

エモいアデル

朝 目覚めると 銀世界が広がっていた。

樺太島と同じぐらいの北緯にある
ヨークシャーだから
冬はシベリアのように寒く
雪も降ると思ったら
そんなことはない。

グレートブリタン半島の周りを
暖流と寒流が流れており
冬でも氷点下を回るのは稀だ。

雪が降ると 軽く絶望感を抱く。
なぜだろう。

人間は無力だ。文明の利器は無力だ。
自然の力には太刀打ちできない。
そんな 至極当たり前のことを
思い出すからだ。


年の瀬も迫った 2011年。
私はロンドンにいた。
薄給と有給をはたいては
年末休暇は ロンドンで過ごしていたのだ。

渋谷のセンター街の外れにある
ブリティッシュパブで
ナンパされて
付き合うことになった
12歳年下の彼に会いに行くためだ。

私はその頃30代に入ったばかり
彼は10代だった。

ナンパされた当時
年若い彼は
ギャップイヤーを取り
大学に入る前の1年を
日本で過ごしていた。

大方の予想を裏切ることなく
その数年後に
私がイギリス行きを決めた時に
「好きな人ができた」と
振られてしまったのだが。

2011年の暮れは ちょっと特別だった。
なにが特別かって
どこへ行っても
アデルが聞こえてきたから。

ちょうど2011年のはじめに発売された
「21」が大ヒットした年だった。
「失恋アルバム」と呼ばれるように
失恋して ストーカー化した
女の執念を
これでもか!と詰め込んだ曲の
オンパレードである。

アデルのデビュー作から
彼女の迫力ある声に魅了されて
普段なら「POP」と名の付くものは
「けっ!軟弱なやつらの聴く音楽だよ。」
と見下して 食わず嫌いなのに
アデルは別だった。

私は興奮して 年若い彼に言った。
「アデルすごい人気だね!
私もいつかロイヤルアルバートホールで
アデルの声を聴きたいな。」

しかし 彼は若かった。
もっと尖ったものが好きで
元倉庫跡地で開かれる
インディーズの「クラブイベント」に
私を連れていった。

映画で見たことのあるような
ヒップでオシャレな
ロンドナーが集まるイベントだった。

「カッコいいな。」と感じたけれど
興味を持つほどでもなく
自分の好みとはかけ離れていて
その辺のおっさんパブから流れてくる
90年代ブリティッシュロックなら
大合唱に加われるぐらい
私はよく知っているのにと思った。

彼に言わせれば
アデルは中高年の人が聴く歌。
ヘビーローテーションのアデルには
一言「ダサい」だった。

「ダサい」のは死ぬほど恥ずかしいし
おばさんだと思われたくない一心で
私は「クールな自分」を演出することに
必死だった。
痛々しいことにも 気が付かずに。

その頃 私は
自分を偽っていたし
他人にも 自分にも
平気で嘘をついた。

いつから
「好きなものを好き」
と言わなくなったのだろうか。

「好き」と言えば済むことも
「嫌いじゃない」と言ってみたり
「好きだった」と過去のことにしてみたり。

アデルのように
「好きだけど
 好きでもないフリ」をした。

自分に嘘をつけばつくほど
「クールな自分」から かけ離れていった。
矛盾しているけど
「ダサいのだけは死ぬほど恥ずかしい。」のに
どんどん「ダサく」なっていった。

当たり前だ。
言ってることと 
やってることの整合性が
とれていないんだから。

東京に帰る日の朝。
ロンドンは
稀に見る大雪を観測した。
雪なんて降らないから 街は大混乱だった。

各駅停車のヴィクトリア線で
何時間もかけて 
ヒースロー空港を目指した。
暖房もつかない
チューブの車内は
吐く息も真っ白になるぐらいだった。

私は寒さに凍えながら
彼の手を握って思った。

「飛行機に乗ったら iPodのアデルを聴こう。」

アデルの「レメディ」という曲に

世界が とてつもなく残酷だと感じるとき
自分が どうしようもなくダメだと感じるとき
あなたには私がいると 約束する
私があなたの「レメディ」になる

こんな歌詞がある。

「私は わたしの最大の味方である」

私はわたしに 好きなことを「好き」だと言わせてあげる。
私はわたしに「ダサい」自分も「意外といいよ」と言う。
私はわたしに「アデルいいじゃん」と援護する。

「私は わたしのレメディになる」

そうしたら 世界が容赦なく残酷でも
一筋の光が差し込む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?