見出し画像

画材のにおいとシェルター

匂いフェチの私は、そんじょそこらの誰よりも匂いの引き出しが多い。
湿った押し入れのにおい。校庭の砂埃のにおい。昆虫の標本のにおい。
温かな気持ちにさせるにおいや、官能的なにおい、はたまたギュッと目を瞑って遠ざけたい悲しみを含んだにおい。死のにおい。赤ちゃんのにおい。
絵具や絵筆、キャンバスや鉛筆、木炭のにおい。画材のにおいはいつだって私を幼少期に引き戻す。

1853 Gallery

生まれて数ヶ月してから、5歳ぐらいになるまでだったろうか。私は長野の祖母の家に度々預けられた。祖母の家の敷地に、叔父は自宅兼アトリエを建てて小さな絵画教室をひらいていた。落ち着いて黙々と絵を描くような絵画教室ではなくって、近所の子どもたちがワイワイ騒ぎながら好き勝手にやれるたまり場だった。それでも叔父の審美眼はずば抜けていて、ビシッと叱りつけることもできる先生で、子どもたちからは一目置かれているようだった。
叔父と叔母夫婦には子どもがいなかったが、叔父は私の実父よりも父親らしかった。アルコールに溺れて、へべれけで、食も体も細かったが、絵筆を握れば力強くて、なにより近所のスナックや喫茶店、八百屋など、どこへ行くにも私を連れて行っては、大人たちに自慢げに私を紹介して回るのであった。家族以外の大人に名前を覚えてもらうのは初めてで、くすぐったくも嬉しかった。

私は幼少期から中学を卒業する思春期までにかけての10数年の記憶が欠落している。記憶喪失だったのか?と自分でも驚くほど、ほとんどの出来事を思い出せないし、思い出したいと考えたこともなかった。幼稚園も通ったし、小学校も登校拒否という選択があることも知らずいじめられても毎日通った。私の記憶の断片は、古い写真や母から聞いた話をベースにして、なんとなく仕上げた張りぼてだった。

2020年、世界は見えない恐怖と不安にすっぽりと覆われていた。そんな時にこのnoteを始めたのは、自分の内面に否が応でも目を向ける時間が増えたからだ。友人のすすめもあって、おっかなびっくり退行療法を試したエピソードを書いたのだが、あれから3年が経った。3年経って私はまたもや似たようなことを経験し、躓いて転んだ。転ぶまで気がつかなかったわけではない。
転びそうな自分を俯瞰しながら、「このままではダメだ」「まただ」、「こんなんで良いはずはない」と感じていた。でもそれを全身全力で否定した。

幼少期から抜け落ちた記憶を手繰り寄せて、その当時の私の感情に寄り添う。それが躓きを根本的に見直すためのはじめの一歩で、認知のゆがみを把握するには避けれは通れない作業のようだ。

認知の歪みとは、同じ出来事に遭遇した際に、歪んだ捉え方をすることで、自分の気持ちが不安になったりイライラしたり、ネガティブなものになることを指します。また、程度の問題であるため、「認知の歪みが全く無い」という人はいません。さらに言えば、近年では「認知の歪み」という考え方も古くなってきました。なぜなら、認知の仕方に正解がなく、ゆえに歪みと言える根拠がないからです。人それぞれ違う認知の仕方を「特性」であると考えて、そんな「特性」に苦しんでいる人に対しては、矯正するのではなく、別の視点を与えて両方の認知ができるようにするというイメージが最近の認知行動療法の主流です。

©うららか相談室  2022.10.17

私にとって、幼少期の記憶を辿ることは暗くて悲しくて、なによりも両親から大切にされたと感じられなかった寂しさを並べることで、心の奥がズキズキと痛んだ。呼吸が浅くなっていき、顔面が引きつる感覚さえ覚えた。3年前に中途半端に書き出したアダルトチルドレンワークを読み返したら、辛くてすぐさまノートを閉じて仕舞い込みたくなった。なにも変わってない自分が不甲斐なくて泣きたいのに涙すらでなかった。

1853 Gallery

うじうじとしてた時に、友人を誘って美術館へ出かけた。
そういえばコロナ渦で行くところもないから、何度かひとりでぶらっと来て以来、訪れていなかった。産業革命時代の紡績工場の跡地を利用した美術館で、がらんとした巨大な空間にはそぐわない居心地の良さも、ポイントが高い。工場で使われていた古くて頑丈な作業台に並ぶ美術書と画材、文房具、整然と並ぶ紙。私は居ても立ってもいられないような、胸の高鳴りを感じる。画材の匂いだ。ああ、嬉しい。満たされるというのは、こんな感覚のことを言うのだろうか。画材の匂いに包まれ思い出す。絵を描いている間は、両親のいざこざが聞こえなかったこと。叔父はちいさな私の描いた絵を褒めるかわりに、真剣に評価してくれたこと。ひとりの人間として接してくれる叔父を私は慕っていた。「アトリエにあるものは、なんだって好きに使っていいんだよ。」飲んでばかりで、お金があるように見えない叔父だったが、今思えばあのアトリエは私のシェルターだった。

小さな子どもが、なんらかの危機的状況に直面した際、緊急自己防衛措置を取ることで危険を回避するのは自然なことだという。ただ、大人になっても同じ措置を無意識に取ってしまうことで、躓きとなることもある。記憶を失くしたフリをすることで、悲しみや寂しさに蓋をしてきた私は、踏み込んだ人間関係をぶち壊す悪癖がある。挙句の果てに孤立して、自己嫌悪に陥いるという負のスパイラルだ。「またか。また今回も向き合う羽目になったか。」

一筋の光は、画材の匂いのするシェルターがあったことを思い出せたこと。
そして叔父の繊細で力強くて前衛的な、大きな大きな作品を誇らしげに思い出す。

1853 Gallery Entrance

Salts Mills
Victoria Road,
Saltaire,
West Yorkshire
BD18 3LA

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?